「誰のおかげで」
「感謝するべき」
これはエゴだ。
私自身もこのエゴを、
正論を振りかざすように、
娘たちに強要していた時期があった。
誰のおかげで、飯が食えると思ってるんだ。
誰のおかげで、屋根のある家に
住めると思ってるんだ!
これらの感情は、
自分がこんなにも頑張っているのに、
それがさも当たり前だという娘達の
態度にイラッとした時に湧いた。
要するに「自分の頑張りを認めてほしい」
という「私が」のエゴを満たしたくて、
強要していただけだった。
親なんだから感謝するべき。
親孝行するべき。




自分も親になって、娘たちが巣立った今、
振り返って思う。
娘たちはこの世に必要だから、
わたしという「入れ物」を通して、
やってきたにすぎない。
そして「私」と娘たちの父親の元に、
生まれてきたのは、
わたし達が娘たちを通して学ぶ
課題があるからだ。
衝突を繰り返しながら、
自分の思い込みに気づかせてくれたのも、
娘たちだった。
子供という立場を取りながらも、
教えを示してくれる運命共同体であり、
仲間であり、わたし達はひとつだ。
「私が」のエゴを手放す。
それは自分という人間を否定されたように、
感じるかもしれない。
でもこの世は自我を超えた、
もっと大きな仕組みで動いていると
気づいた時、
謙虚にならずにはいられない。
そして自然と感謝の念が、
湧いてこずにはいられないのである。
自我を手放し、
大きなものに自分を委ねる。
そんなステージに今、
どうやら立たされているようだ。