土曜日の朝、眠かった。
起きて、母が危篤状態で、残りの時間が少ないことを相方に伝えた。息子は、部活をやらずに学校から、病院へ向かうとのことだった。
私は、仕事を終えてから、病院に行く予定。
相方は、叔母(亡父の亡弟の奥さん)を連れて病院に🏥。その他の親戚にも、母の病院🏥に向かってくれた。
相方には、○田病院🏥へ母の入れ歯と荷物を取りに行ってもらった。
びっくり⁉️したのは、洋服の多さ。
45ℓのゴミ袋が、8個。
母の洋服が、まとめられていた。
それでも、服が無いと騒ぐ母。病院側としては、かなり邪魔な洋服だったんだろうなと思った。
夕方になる前に、帰ってきた相方は、
母が、『ひ○○は、来ない❗️』と、言っていたよと、伝えてきた。
私が、今までも、面会も何もしていなかったような言い回し
❓❓意識が、戻ったのだろうか❓
仕事が終わり次第、病院🏥に向かうつもりでいたが、こんな時に忙しい。
結局、7時を過ぎたころに、病院🏥へ…。
やはり、意識が無さそうな母が両手にミトン状の手袋をしていた。点滴を外したりしないようにとのことらしかった。
お腹が、痛いらしい。
『ばーさん、来たからね。』と伝えて、お腹をさすった。
声をかけながら、何度かさすっていると、
『ひ○○、ありがとう…』
それは、小さな声だった。
本当に、力を振り絞るような小さな小さな母の一声だった。
一緒にいる従姉妹にも、ようやく聞こえるような母の言葉。
看護師さんが来て、今夜は大丈夫そうです。
ゆっくり、休んでくださいと言ってくれた。
母に、また明日ねと伝え、病院🏥を後にした。
つづく
