DRとの話し合いの2日後に、ホームから電話📞がきた。父が、危篤だと…。金曜日だったのは、覚えている。真顔
私は、母、叔父夫妻(父の弟夫妻)を乗せて、仕事後に面会に…。
苦しそうな息と、足にできた褥瘡が忘れられない。
もう少し、元気な時に叔父を連れてくるべきだったのかは、後悔になる。
次の日の夜も、母と息子を連れて、面会に行ったが、父の容態は変わらなかった。

7月1日(日)3時すぎ、仕事場の電話📞が鳴った。
お父さん、息をしていません。』と、電話の向こうから言われた。
仕事中だったが、父の所に行かせてもらった。真顔

母は、叔母と○堀さんとふらふら出かけている。
こんな時まで、ふらふら出かける母には、本当に腹が立つムキーが、とりあえず叔母の携帯📱に連絡。
非協力的な相方も息子とゲームセンター🎮にいたのを私の友人が目撃している。ムキー

私は、従兄弟1号に連絡し父のもとに向かった。

ホームに着いた時には、エンゼルケアも終わり、もう、苦しくも痛くもない父がいた。

私の連絡で、近くの親戚が次々と現れた。
喧嘩別れしていた父の兄まで現れ、泣いていた。
(後悔の念なのかは、定かではない…)
 
今年の父の日のプレゼント🎁の帽子🧢を被ることなく父は、逝ってしまった。ぐすん

次の私の仕事は、葬儀社への連絡だった。笑い泣き

あてにならない家族どころか、このあと私は、相方母(義理母)からも、強い攻撃を受ける。チーン 

つづく