コロナ濃厚接触者自宅待機中のアブヤです。

2007年5月、父はグループホームへ入所となりました。脳梗塞により、好きな物も食べることができず、誤嚥性肺炎の予防の為に飲み物にも、とろみをつける生活。
慣れ親しんだケアホーム想○から北向○荘へと、移動。私は、母を連れて車で、あとをついていくことになりました。

想○も新しい建物でしたが、北向○荘は、さらに新しくきれいな建物。個室には、収納とベッド🛏。
充分な終の住処ではなかろうか…

母と私は、さまざまな手続きを済ませ、北向○を後にした。
しかし、家にいる時に散々、父を邪険にした母は、罪悪感からか?は、わからないが、毎週、父の元へ乗せて🚙行くよう私に命令ムキーしてきた。
お願いではなく、命令だった。チーン

毎週毎週、休みの日は父の所。
家の掃除🧹に、父の所に行き、子供の学校からの帰宅前に帰ってくる。えーん

何度も言います。仕事してますよ真顔

やるしかない…
39歳だから、できたと思う。
今じゃぁ、無理ですチーン

父のグループホーム🏠に行き何をするかと言うと、
一緒におやつをご馳走になったこともあった。
カラオケを一緒に歌うこともあった。
昭和一桁生まれの方達の歌う歌を、知っている私を、ヘルパーさん達は驚いていた。ウインク

つづく