父は、5月半ばに内視鏡手術となった。
もちろん、家族が誰か付き添いが必要だ。

私は、行かない…

母が、言ってきた。

昔から、自分の行きたくないところ、例えば近所の葬儀の手伝いなどは、父に押しつけていた。
父が行けなくなると、ご近所から私を手伝いによこすよう指名になり、母はますます何もしなくなっていった。私は、親が居ても、30代半ばから、ご近所の葬儀の手伝いを任された。

   仕事してます。真顔

父の手術の日、1時間だけ仕事して、私は病院に向かった。オペ室に向かう父を見送り、オペ室の前で1人待っていた。
オペは、無事に終わり説明を受け、1人帰路についた。

この後、父はHCUを経て、普通部屋に移動した…

そして、再び悪夢が…ポーン

父は、また病院🏥の脱走を試みたようだ。滝汗

私のもとに再び電話が鳴った📞。
病院の看護師さんからで、父がいないポーン。前科ありの父…。
しかし、この前の病院より今回は、遠い真顔
帰ってくるのは、不可能…と、滝汗考えながら仕事。もやもやアセアセ

少しして、いましたとの連絡が入った。OK


こんな状態なので、病院は1日でも早く父を退院させようと、退院の日程を打診してきた。チーン

私は、休みの日に病院のケアマネさんと話をして、
ここで初めて、介護認定を受ける方向に話が進んだ。今でこそ介護認定を受ける人はあちこち増えているが、2005年時は、周囲に経験者も少なく、手探り状態で、市役所と病院を行ったり来たりだった。

つづく