母は、2週間ほどで退院となったが、父は相変わらずだった。
この年、我が家は5月にハウジングギャラリーに行き、9月に家を取り壊し翌年2月に新しい家が完成となった。
年長の息子の幼稚園の役員やら、七五三の御祝いやらと父母介護の他にも、バタバタだった。
家の細かい打ち合わせの際には、どうしても相方の意見も必要だ。困ったことに、ガンダムの通信ゲームに夢中で、家の打ち合わせの際にも、ゲームの為に中断なんてことも、何度かあった。
私は、このせいで、ガンダムが嫌いになった。
そして、七五三の御祝いもかなり大変だった。
田舎しか知らない義母は、やはり、あーしろこーしろ攻撃。相方とケンカになり、3ヶ月口をきかなかったようだった。
結局、私が隣の県の○武ホテルに予約を入れて、桜○神社⛩でお参り。というプラン。
うるさい義母に何も言われないように、息子には新品の羽織袴をレンタル。スーツは、高○屋で調達。
それでも、ケチな嫁と言われる。
義母は、親戚近所をおよびして、たいそう派手な御祝いをしたかったらしい…
家を取り壊す時の我が家。
母は、取り壊す当日直前迄、マーメイド🧜♀️のように横になり【冬のソナタ】に夢中だった。
まるで、自分には全く関係ないかのように、最初から最後まで、何一つ、引っ越し作業を手伝だおうとは、しなかった。
もちろん、完成した我が家への引っ越し作業も、何一つやらない…
朝から晩まで、韓国ドラマの毎日。
私は、韓国ドラマが嫌いになった。どんなに進められても、見ようとは思わない。
2004年最後の日は、大雪だったのは忘れない。
2005年2月に、新しい家に引っ越したが、相変わらずバタバタで、パンダのダンボール📦箱は、2年リビングから動かなかった。
そして、3月には叔母が透析手術になり入院。
何度も母を、面会に連れて行くことになった。
仕事してますよ
余談になりますが、叔母は、術後普通だったはずなのに、5日後位に面会の親戚と話している時に突然、意識不明…
病院🏥で、滅多にない、
ハリーコールとなったらしい。
叔母娘から、連絡を受け、母と向かった車の中で、
ネガティブな母の言葉をえんえん聞かされたことは、忘れられない…
つづく