父は、その後もいろいろとやらかしてくれている。
近くのスーパーに車🚗で、買い物に行き、車をおいた場所がわからない…と電話📞をかけてきた。
(私が行って、探しました。)
買ったらしきアイス🍨は、ドロドロに溶け始めていました。もちろん、免許返納の説得は、頑張りましたよ❗️
そんな毎日を送っていたのですが、2004年4月の桜の散り始めた頃、ふらふら叔母と出かけていた母が、帰って来た。
『ただいま』
『こーれ、かーっ〜てきた〜よぉ』
何か変
まるで、カタツムリ🐌が、はってるような喋り方…
すぐに、子供が入院した方の病院🏥にGO
手足こそ普通に動かせるものの、とにかく言葉が変なんです。と、私は一生懸命説明しました。
MRIが、故障中で、検査は明日になってしまうとのことでしたが、とりあえず入院となりました。
そうなると、問題は隠したい持病
私は、ドクターに○田病院🏥に通院していて、お薬飲んでますと伝えた。
そして、入院するのは6人部屋。
満床の部屋に、チョーワガママな母。
私に、入院用のパジャマを買ってこいやら、しかもブランド指定ワ○ールのパジャマを買ってこいと…
子供の迎えやら、父への説明やら、もちろん仕事もしてますよー❗️
そして、次の日、病院から🏥の電話📞は、やはり脳梗塞とのことで、しばらく入院となった。
因みに、この時も母は、脳内変換で、病院に連れて行ってくれたのは、叔母(母の妹)になっている。
叔母が、自分の病気に気づいてくれたおかげですということになり、叔母に感謝感謝になった。
つづく