3回目の手術を終えても、相変わらずの入院生活。
9月に退院予定が、時は11月になっていた。

その間に、息子が今度は、マイコプラズマ肺炎で入院。今度は、4泊5日だった。
またまた、病院🏥に泊まり、家に帰って仕事。
なんとかなるものだと思って仕事した。ニヤニヤ

そして、11月のある日、午後2時頃だったと思う。
父の病院🏥から、電話がかかって☎️きた。
家に父が、帰っていないかとの電話📞だった。何を言っているのだろうと思いつつ、割と普通に、いないとの返事をして、電話を切った。キョロキョロ

      そして、びっくり 


10分後、窓の外に🪟ポーン


タクシーから
   降りる父
ゲッソリ叫びゲッソリ叫びゲッソリ叫び
オーマイガー🤷‍♀️
NO〜NO〜NO〜❗️

点滴を2つもぶら下げたまま、タクシー🚖から、降りて来る父。タクシー運転手さんは、トランクから、点滴棒を下ろしている。

   何故❓
仕事中にもかかわらず、私は、父の方に行った。
母は、布団を用意し父を歓迎している。
   そうじゃないでしょう…

点滴の中身は、もうすぐ無くなりそうだ…
どうしたらいいかわからない…

ごめんなさい🙏
  119救急車 かけちゃいました。


なんやかんや説明して、救急車🚑が来てくれた。

おじいちゃん👴、何で帰ってきちゃったの?
と、救急隊員。

全くその通りです。

思い起こせば、2〜3日前に、近所の人が病院に行ったら、父に声をかけられ、家に乗せてってくれと頼まれたが断ったと、わざわざ報告に来てくれていた。点滴をぶら下げ、手がプルプルしていたと…

4ヶ月も、病院にいたら家が恋しくなったであろう。しかも、短期間に全身麻酔を3回。
頭が、どんどんおかしくなるに違いない。

この頃、母も、父は死ぬと思いこみ、またおかしくなっていた…

               つづく