およそ5ヶ月の入院を経て、母は退院の日を迎えることができた。
梅の花が咲き始める3月だったと思う。
学校から帰っってきた私に、『おかえり』の声があった。
4年生も終わろうとしている私にとって、母の帰宅は消して真っ直ぐには、喜ぶことができなかった。
父と3人の気を使う生活が、とっても不安であり、辛くもあった。
5年生になり、6年生になり、針のむしろ生活は続いた。
しかし、ある事情により母の妹である叔母とその娘と息子が一緒に住むことになった。
確か、1979年11月からだったと思う。
叔母29歳、娘3歳、息子2歳前だった。
この年の5月8日に叔父は、髄膜炎によりまだ29歳になったばかりでこの世を去ってしまった。
叔父が亡くなったことは、悲しいのだが、叔母達が一緒に住んでくれることは、私にとっては何より嬉しい😂ことだった。
食事は、叔母が作ってくれるし、車も🚗乗せてくれる。3人がいることによって、父母からの攻撃が減るのだ…
ただ、心病んだ人達は、得てして、神様に救いを求める。父母は、勧められて仏○御念という宗教に入った。そして、私も無理矢理、念仏を毎朝毎晩唱える生活が始まる。
それは、高校を卒業して、家を出るまで続いた。