何度かの面会を経て、その年の暮れに母の外泊の許可がおりた。
父から、『お母さんが、入院したのはお前のせいだ。』と言われ、さらに、
『お母さんが入院してることは、誰にも言うんじゃないぞ。』
と言われ、私は、この寂しくて辛い気持ちを頭の片隅に納めていた。
(戦前生まれの方々は、隠すことを美とすると、20年後に思ったこと…)
外泊の2日目のお正月に、親族が集まる祖父母宅に行き、従姉妹達と楽しい時間を過ごした。
田舎の集まりは、かなり賑やかで、叔父叔母含め20人以上が集まっている。
東京からの従姉妹達は、祖母宅に泊まりで遊べるが、私は帰らなければならない。帰り際、泣きそうになったのを覚えている。
次の日、母は再び病院へと戻った。
昭和50年代の精神的な病の病名は、
ノイローゼ
今でいう、統合失調症なのか躁鬱なのか、私には、わからない。
とにかく、激しい波🌊と穏やかな波🌊を、晩年も繰り返していた。
周りが、我慢するしかなかった。