母の日すぎちゃったけど
親っていう字について考えてみました。
親は、「木(の上)に立って見る」と書く。
こんなふうに親はいつまでも子供を見守っているものなんだよー
とか、
また、親のあり方として
過保護にならず、見守る程度がよい、という受け取り方もあるようです。
なるほど。
もちろん、このお話はあくまで「俗説」。
本来の成り立ちは・・・
これにも諸説あるようですが、うちにあった「漢字源」によると
「親」の左側のつくりは
「木+立」ではなく、「辛」がベースにあるようです。
この「辛」という字は、はだ身を刺す鋭いナイフの象形文字。
このつくりは、「薪」の原字。木をナイフで切ったなま木。
それに「見」を加えた字で、
ナイフで身を切るように身近に接して見ていること
とあります。
さらには
じかに刺激をうける近しい間がらの意
なんだそうです。
私の親は、「漢字源」説の成り立ちそのもの!!!
身近さはほとんど一心同体レベル。
見守るだけじゃなくて、私に体当たりでぶつかってくれたし、
好奇心とか考え方とか生き方については、それこそもうものすごい刺激をうけまくり、
その刺激量は、わたしが大人になって一人暮らしをしている今でもかわらず。
もちろん、木の上に立って見ていたこともあると思いますけど・・・笑
でも、なんだか
どこかのエライ先生とかが語りたそうな「木の上に立って・・・」っていう俗説よりも
ほんとうの成り立ち(漢字源ver.)のほうがよっぽど説得力がある気がする。。
ほかにも漢字にまつわるエトセトラっていろいろあるんですねー。
「幸」っていう字にしてもそうですが。
逆さにしても、二つ折りにしても「幸」と読めるから、
「幸」の反対も「幸」、不幸じゃないんだ、というお話があったり
どこから見ても幸せなのが本当の幸せなんだ、というお話があったり。
ただ、これも、成り立ちを見ると
「手枷」の象形文字なのだとか。(漢字源)
手枷をはめられる危険を危うく逃れた、ということをいうんだそうです。
たしかに、「執」とか、「報復」の「報」の字にも「幸」という字が入っているところを見ると
なるほどという気もします。
漢字源の受け売りですけど。
深いなぁ。。。
これから「幸せって何」って聞かれたら、何と答えていいものやら笑
・・・もちろん、時代とともに意味もかわってきているから、
今では、よく知られた「幸せ」の意味が、ほんとうの意味ということになるんでしょうけども。
中には、「幸」=「土」+「¥」っていう俗説もあるようです。
ちょっとおもしろい!!土地とお金があれば幸せって。笑
人っていう字もそうですよね。
お互いが支えあっている姿なんだよーっていう俗説。
でも、そうなると
「入」っていう字はなんて説明すればいいのか・・・
バランスの崩れた人間関係と見てしまう子とかいそう。
もし自分が説明するなら・・・
「人を押しのけてのし上がって初めて「入」ることができるの!!」
なんつってみたりして・・・
さすがの阿久津真矢(※女王の教室)もこれは言わないな。。。。
学校の先生より、進学塾の先生とかが言いそう。
(どちらかというと、わたしは金八先生より阿久津先生のほうが好きです。)
たしかに漢字って、こじつけようと思えばどうとでもいえるわけで。
人の夢と書いて「儚」なんだーとか
人の為と書いて「偽」なんだーとか
全部、どこかで聞いたことある話だけど、
結局、退廃的なことばかり思い出してる自分・・・
でも金八先生は「偽」について
「偽りも、ときには人の為になる」と言ったとか!?う、美しい・・・・
こういう、漢字にまつわる美しい俗説を生み出す人ってどんな人なんだろう。
心がめちゃくちゃきれいな人なんだろうな。。。
でも、たぶんお友達になれなさそうだな。。。笑