沢山たくさんタクサン考えてる。



考えすぎて、身体が動かないとか、言葉を出すのが怖いとか、イツモノコト。



それは、悪いコトだと思ってた。

ま、そうかもしれない。




だけど、考えないことの方が恐ろしいコトなの。



考えるには、材料が必要で、材料は体験を源に成ってるから、結果、考えたければ行動しなきゃなの。



ふうーむ。





方向が違うだけで、やっぱり答えはヒトツなんだな、って、最近すごく思う。



曖昧すぎ?


えへ。








本当の気持ちを、探してます。



電池がすぐきれるから、1日の7割くらい電源切ってる気がする。


だから電話に出れない。


携帯の意味!!!





昨日は色んな意味で、発見の一日だった。


今日は逃げに徹しよう。
許されるのなら。



楽しめる方法があるのではないかと、少し違った角度から試行錯誤してみたところ、とても納得がいき、無駄なく楽しむことが出来たように思います。



どんな事柄にせよ、見方は常に最低2通りは存在していると私は思うのであります。



どちらをとるかは、自分次第。



空気を読まなければならない場合も存在するかもしれません。



己がどうなりたいかを頭に置きつつ、何歩か先まで計算したうえで結論を出す。



間違えない保証はありませんが、できれば、一番初めに感じたことを信じてあげるのがいいかと。



その気持ちも、『こっちだ!』なのか『これだけは嫌』なのか、2通り。



もし何も感じなかったときは、多分本当にどうでもいいことなのでしょう。



そういうときは、『とりあえず放置』もしくは、『とにかくやってみる』の2通りですが、もし、『やる場合』は、迷いを全て捨てて本気で向き合わなければ、『やらない』以下の結果しか生まれないでしょう。





だんだん何の話かわからなくなってきました。




言いたかったことは、自分をコントロールしているのは、己だということ。


なりたいと思ったものにしか、成れないということは逆に、なりたくないと思わなければ、なりたくないものに成ってしまうかもしれないということ。





シンプルに考えるようにして、答えを1つ1つ、見付けてゆけたらいいですね。




おわり。

(ハンター×ハンターの、アニメのタイトル風に。)




3つは全て自分自身なんだけど、全て独立していて、全て連結しています。

だから生きることが難しくなります。



脳みそに笑わされて、心まで明るくなったつもりでも、身体には我慢の限界がきて、すると心も一気に崩れてしまう。


疲れたときに、元気をだしたり。


悲しいときに、前を向いたり。


もちろん大切ですが、たまには、思いっ切り素になって、ぶつかったり吐き出したり、していいんだからね。




それが困難なのも、限られた相手にしか出来ないことも、わかっているよ。


恋人や親友、はたまた全然無関係の人もありだろうね。




私はちっぽけだけど、音楽を利用することによって、恋人になって、親友になって、赤の他人になって、そしてあなた自身になって…、あなたの憂鬱を吸い取りたいの。






そんな気持ちで、歌ってるけど、まだまだ未熟すぎて…ごめんね。


誰よりも強く

誰よりも弱く


そんな人間になって、そしてステージの上で死んでいくから。











ぁあ。

本当の気持ちはドコにアルンダ