遠くのものを見るのは

遠くのものに縋るのは

遠くのものを追うのは

遠くのものに嘆くのは

遠くのものを欲すのは

遠くのものに憂うのは

遠くのものを賺すのは

遠くのものに詠うのは

遠くのものを喰うのは

遠くのものに願うのは

遠くのものを愛すのは

遠くのものに陥るのは

遠くのものを壊すのは

遠くのものに頼るのは

遠くのものを創るのは

遠くのものに乞うのは

遠くのものを倒すのは

遠くのものに諭すのは


奇跡なんてものはいっつもそう。


期待してない時に顔を出す。


求めて求めて求めて行動しても
なんにも戻ってきやしない。





だからいつからだったろうか?


求めるより与えたい
と唱えるようになった。



そう思えてるのかは、曖昧。



求めなければ手に入ると
汚い私の心はどこかで思ってる気が
するから。




でもそんなもんだよね。

頭と心は、ちぐはぐ。



だいたいいつも、ちぐはぐ。




それでいいの。

求めるより与えたい。

そうできなくても
納得いかなくても
失敗しちゃっても

求めるより与えたい。




そっちの方が平和になりそうで。






偽善者だらけの平和と

正直者だらけの不平和




どっちのほうがいいんだろう?






ドーミーソー



ソーシーレー?






多分きっと絶対


音楽は、その時その瞬間の、心境体調感度が影響していて、それがマッチしたときに、本当の意味で 響く んだと思うの。



同じ音
 ×
同じ人

だとしても。

感じ方はその時々で全く異なる。





逆に言えば、観る側の条件が1つとして満たされていない時に 響かせる 事が出来たなら素晴らしいの。


でもそれって、なかなか難しい。


否、寧ろそれは、魂がシンクロしていて、最良の条件でしか成し得ない事なのか。





そんな事をボーッと考える電車の中。





ライブを観ていた時にはあまり気にならなかった靴擦れが酷く痛む。








気付きたくない事に気付いてしまう時って、人生には結構、有る。


それはいつまでも心を引っ掻く。



脳みそが『違うよ』って言い聞かせても無駄。


身体中の、その他細胞が反応してしまうからね。





あーだこーだ

きゃいきゃい!!







あと、そう。



知らない方が楽しい事ってゆうのも、半分くらいある。


知ったからこそ楽しい事が、もう半分。







知らないのは恥か、ピュアか。



難しいところだと感じている今日この頃。





もっともっと知りたいんたけど、知って終う事が、もっともっともっと 怖いんだ。







如何やって、生きて逝こうか。



な。