世界一周行ってきます!と果たして言う事ができるのだろうか -2ページ目

僕にとってスリランカといえば、スリジャヤワルダナプラコッテ。

スリランカの首都の名で、思い出すのはこの恐ろしく長い固有名詞を小学生の時に必死で覚えた記憶である。

なぜそんなことをしたのか?言えたらかっこいいから、だ。

そう、昔から僕のかっこいいの定義は、地軸くらい傾いているのであった。
でも、地軸が23.4度傾いているからこそ、秋があって冬があって春があるのである。
夏も然り!
そんな、夏!ぼくはスリランカへと旅だったのであった。




2023年の夏、といえばコロナ禍が収束して最初の夏。

しかし、ぼくはこの年の初めにタイへ、そして春にマレーシアへ既に行っていた。
海外旅行が解禁されて、抑えていたものが溢れ出した結果である。

とはいえ、その二つの旅行は友人と楽しくワイワイをコンセプトとした“旅行”。


今回のスリランカでついに“旅”復帰となったのである。
旅行と旅とは何が違うのか?僕的な定義は

旅行=楽しい
旅=ツライ先にある楽しい


と、いうことで、ツライツライ、でも楽しいスリランカ旅の始まりです。

(2023年8月13日〜8月22日)

夕日をみると、胸が締め付けられます。


つい、見入ってしまいます。


なぜでしょう。






はい、それは、社畜だからです。

会社の(もしくは社会の)家畜ということです。
まったく、家畜に失礼ですね。






仕事をしていたら、夕日を見ない。
いつの間にか、夜なのです。


夏の、日が長い時だって同じです。


今日は早く終わったなあ、って時も夜は夜です。


建物の窓という窓には、ブラインドが付いていて、外は見えません。


休日は寝ていたら、もう夜。

いつしか、どのように日が沈むのか、忘れてしまいます。





だから、旅をすると夕日をみるのが嬉しいんです。

1日の区切りがわかるのが、素晴らしいのです。

また、明日、と言えるのが愉快なのです。




ラオスのルアンパパーンでのことです。

旅の最後の夜は、美しい夕日で締める。


そんな素晴らしいアイデアを思いついたのです。

アジアの夕日は赤くて美しいことをぼくは知っています。



幸いな事に、空は晴れています。



ぼくは、インターネットを駆使して調べました。


プーシーの丘



そこが、夕日のスポットだと、サイバーな人々は言います。

残念ながら、プーシーの丘は、すでに朝に行ってしまったのでした。

二度は行きたくない。

あの、山道を思い出しただけで、膝が震えます(大袈裟)。





しかし、社畜の検索能力を舐めてはいけません。

ぼくはしがないテレビ制作会社で働いています。
仕事の中で、リサーチというものがあります。

いわゆる、ネタ探しです。



何が問われるかというと、ネットの活用法です。



昔は、ひたすら電話する、というリサーチをしていたようですが、いまはもっぱらネットです。


ネットさまさまです。






そんなぼくが取り出したのはGoogle map。

取り出した、というか、アプリを立ち上げた、ですね。





現在地の辺りを探ります。




見つけました、サンセットポイントです。






そこをタップします。


口コミが表示されます。

写真も出てきます。



ほぼ英語なので、日本人には知られてないスポットなのでしょうか。



そこへ行くことにしました。


いつもありがとう、Google。






手作りの橋がかかってます。





家族経営の橋です。


なぜなら、おじいちゃんにお金を支払います。




中洲(?)のようなところに渡って、日が沈むのを待ちます。


案外、人がいます。


日本人も3人くらい、います。


あの人たちも、社畜かしら?






日が沈みました。





なんて、美しいのでしょうか。




探したかいがありました。


いや、探したからこそ、感動もひとしおなのでしょう。




誰も知られてない名店を見つけた時のよろこび…


夕日を見ながら、仕事を思う。

もはや病気ですね。



(橋もライトアップ。頑張る橋一家)







さて、記事には正確さが求められます。

誤った情報を載せたら、訂正しなくてはなりません。

さもなくば、批判の嵐です。



これを書くにあたって、Google  mapで、もう一度あの場所を調べてみました。





おや









バーになってる。





あの“橋一家”が経営してるのでしょうか?


はたまた、橋一家は追い出されてしまったのでしょうか。





おじいちゃん、元気ですかね。





ちゃんと仕事してますかね。






仕事、






仕事、









仕事とは、なに?

薬草サウナという、天国に近い場所をご存知でしょうか?

いや、場所ではない。


行為。


天界の行為。



薬草サウナという行為を、ラオスで体験するかどうかで、人生かわる。

と言っても過言では全くない。


そんな体験談を、ぼくはいまから書くのである。





(※といってもエロではないよ)





まずは、薬草サウナとはなにか?ということである。

ラオスの伝統的なサウナで、ぼくはルアンパパーンに行った時、訪れた。



施設には大抵、マッサージもついていて、マッサージから薬用サウナの流れが普通なようだ。

その店は、まあマッサージは、イマイチだった。


イマイチすぎて、マッサージを終えた頃には、なんか帰りたくなっていた。

雑なカーテンで仕切られた薬草サウナ用の着替え部屋が、小汚いことも、その考えに拍車をかけた。



それでも、お支払い済みであったので、備え付けのタイパンツのようなものに着替えて、小部屋の扉を開いた。

そして、驚いた。




な、何だこれは!?!?





視界に飛び込んできたのは、白!

一面の白である。





よく見ると白は蒸気。

今までの人生で見たことのないランクの蒸気が充満していたのだ。



視界15センチ。


それが、熱い!!


熱すぎるのである!

人間が耐えられるギリギリの温度の蒸気。



熱いからこそ、そこまで充満させられるのか?

はたまた、充満しているから、熱いのか?





そんな疑問を抱えながら、ぼくは小部屋に足を踏み入れたのだった。

ゆっくり扉を閉めて、そして、ぼくは息を吸った。



おお!!




ぼくはまた、仰天した。

ハーブが濃い。



合法ですか!?大丈夫ですか!?


と言うほど濃いのである。



次に息をより深く吸ってみる。

目を閉じると、体の細胞の隅々までハーブが浸透していくのがわかる(危ない表現)。

なんだろう、この感じ…



イメージでいったら透析!(あの、糖尿病の人たちがやっているもの)


血を入れ替えるのではなくて、体内の気体がまるっとハーブ蒸気に置き換わった感じ。

吐く息も、肺に溜まる空気も血管が運ぶ酸素もすべてがハーブ入りなのだ。


ぼくは恍惚な表情を浮かべて、何度も吸った。



もっと体内のハーブの純度が増すように。


もっと周りと一体化できるように。


ぼくを構成する細胞壁、ひとつひとつが消えて、ハーブの世界に溶け込めるように。







それにしても…




暑い…




感動のあまり、入りすぎていたようだ。
なんせ、蒸気は熱々なのだ。



ぼくは、扉を開け、現実世界へと戻った。




休憩スペースには、なにやらよく分からないお茶が置いてあり、これまた熱々なのだが、水分が抜けた体には嬉しい。


ほっと一息ついたら、またあの小部屋に舞い戻る。

この繰り返しが、薬用サウナの入り方らしい。




ああ、日本にもあったらなあ。


と思った時点で、脳までハーブが回ってきた証拠である。