2008年に平成生まれとしては初めて日本代表に選出され、5月24日のキリンカップ、
対コートジボワール戦で国際Aマッチデビューを飾る。
同年10月9日のキリン挑戦カップ、対UAE戦では史上3番目の若さで代表初得点を挙げた。
2010年6月のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では登録メンバーには選出されなかったが、
支援メンバーとしてチームに同行した。
対コートジボワール戦で国際Aマッチデビューを飾る。
同年10月9日のキリン挑戦カップ、対UAE戦では史上3番目の若さで代表初得点を挙げた。
2010年6月のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では登録メンバーには選出されなかったが、
支援メンバーとしてチームに同行した。
2011年1月、アジアカップ・カタール大会の代表メンバーに選ばれ、
中村俊輔が代表引退してから空き番となっていた背番号『10』を受け継いだ。
グループステージのサウジアラビア戦では岡崎慎司の得点をアシストし、
準々決勝の開催国カタール戦ではともに1点リードされて居る状況から2得点を挙げ、
伊野波雅彦の決勝点もアシストする活躍で日本代表の準決勝進出に貢献した。
ですが、準決勝の韓国戦で右足を負傷し途中交代したところ、
右第5中足骨(右足小指の付け根)骨折の全治3カ月の重傷で有ることが判明し、
決勝のオーストラリア戦を前に戦線離脱を余儀なくされた。
その後2011年8月に行なわれたキリン挑戦カップ2011の韓国戦で代表復帰し、
2ゴールを挙げる活躍を見せた。
中村俊輔が代表引退してから空き番となっていた背番号『10』を受け継いだ。
グループステージのサウジアラビア戦では岡崎慎司の得点をアシストし、
準々決勝の開催国カタール戦ではともに1点リードされて居る状況から2得点を挙げ、
伊野波雅彦の決勝点もアシストする活躍で日本代表の準決勝進出に貢献した。
ですが、準決勝の韓国戦で右足を負傷し途中交代したところ、
右第5中足骨(右足小指の付け根)骨折の全治3カ月の重傷で有ることが判明し、
決勝のオーストラリア戦を前に戦線離脱を余儀なくされた。
その後2011年8月に行なわれたキリン挑戦カップ2011の韓国戦で代表復帰し、
2ゴールを挙げる活躍を見せた。