やっと…

やっと…


源則忠にたどり着いた💦

とは言え、この人からがまた、バリバリの子孫繁栄👏👏👏

とてもじゃないけど、いっぺんで書ききるには繁栄しすぎてる💦


なので、以下⬇️の通り4回に分けて書いていく

①日野実綱

②源義家

③源清長

④藤原宗通



源則忠は、道真の孫の在躬の娘が醍醐天皇の皇子である盛明親王に侍って生まれた方


ここで少し面白いのは、盛明親王の弟である源高明の娘が藤原道長の妾妻で、こちらの系統も今上陛下に繋がるのだけど、こちらは菅原道真の項なので、また別でご紹介できればと思っている


因みに、道長と明子はいとこの関係

また、明子の母は叔父との間に明子を生んだ事になるんだけど、これは当時は珍しい事じゃない

古代から戦国時代あたりまで、禁忌は父と娘、母と息子、同父同母の兄弟姉妹の間での男女の関係であって、それ以外についてはごく普通の事だった

最近プライベートでごたついていたから

やらないといけない事は山積みだけど、頭を空にしたい


とは言え、雨の3連休中日

晴れたら山笠行きたかったんやけどな😓


そういう時はひたすら自分なりの作業療法

料理作ったり、本にのめり込んだり、系図や家の図面書いたり(描いたり)、季節の手仕事やったり


という事で、遅々としているこちらを進めようっと


今回も藤原経忠の流れ


前回部分出ししてたのがこちら⬇️



ちょっと見にくいけど、左下のほう


日本史の有名どころが数名出てる

武田信玄の正妻の三条の方も道真の流れを汲んでいて、彼女の生んだ娘は北条氏政に嫁ぎ氏直を生んでいる


同じ流れからは九条幸家が出てる

彼は、豊臣秀吉の甥とお江の方(淀君の妹)の間に生まれた豊臣完子の夫で、彼らの血も皇室に流れている


上の系図の左のほうが⬇️



西園寺家や日野家はまた資料が膨大になるので、それぞれの家の別項を立てて書く事にするけど、これらの家にも菅原道真の血が受け継がれているし、日野家を経由して足利氏にもその血は流れている


南朝の後醍醐天皇の生母も経忠の流れを汲むし、伏見宮家、それから、徳川綱吉の側室の大典侍もこの系統


更に上の系図を下ったのが⬇️



茶人として知られる松平不昧(治郷)も伏見宮経由で道真の子孫


そして、昭和天皇と、その皇后である良子女王も同じく道真の流れとなる


菅原道真の冒頭で、道真が祟り神として祀られた経緯を書いたけど、道真は決して祟り神じゃないと思う

学問の神なだけじゃなくて、子孫繁栄の神になったって言っても良くないかな❓

飛梅が飛んだように、子孫はあちこちに散らばっている

なんか…ほぼ月一ペースでしか更新できてない😓


と、

また自分に言い訳したくなるけど

で、言い訳すると…


道真さんの遺伝子、パワフルなんよ‼️

どんだけ広がっとるんよ‼️


てことで、今回は、藤原経忠


前回ご紹介した、菅原増守の娘が藤原経輔との間に生んだ人物

藤原経輔は、かの皇后定子の同父同母の弟である隆家の子

皇后定子の血は末代には伝わらなかったけれど、父母を同じくする兄と弟の血はいろんな血統と交わりながら、今も皇室に流れてる


今回も色を付けていて、ピンクが天皇、緑が日本史上の有名人なり有名人に近い人、ブルーはまた別の流れで続きを書く人


まず、経忠と閑院実子の子、信輔の流れから出た坊門家

そもそも、閑院家自体が皇室にたくさんの后妃を入れている家系で、そこから更に枝分かれして、西園寺家、三条家、徳大寺家等を輩出している

そして、坊門家は平氏や源氏、また、閑院家の系統と結びつきながら后妃を出している


全体出すと見にくいから、先に部分出しするとこんな感じ



ね、バリバリ栄えてるでしょう❓

あと、鎌倉幕府の3代将軍実朝の御台所も、この坊門家から出てる



経忠の系統はまだまだ広いから、続きは次回


てか、菅原道真の遺伝子、パワフルすぎる😳