ワイワイのブログ

ワイワイのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

 官僚の社会というのは、妙に縦社会で横の繋がりが薄い。官僚だけでなく、戦前の大日本帝国軍などもそうだが、日本はどうしても縦社会になりがちだ。日露戦争を戦っていたあたりまではそうでもないのだが、陸軍士官学校ができて、その卒業生が幅を利かすようになるとどうしても縦社会になっていってしまう。


 基本的に日本の教育で優秀とされる子供は、あまり横の繋がりをつくるのが得意ではない。これは横の社会だとどのように人間関係を作っていいのかわからないからだ。逆に部活の先輩や後輩、会社の上司と部下のように上下の関係があると人間関係が簡潔に成って順応できる。


 横の繋がりだと、どれくらい近づいていいのか、どれくらいの距離をおかなくてはいけないのかなどの微妙な判断をしなくていけなくなる。発達障害の子供というのはそういうのがとても苦手だ。逆に、縦社会になると誰が命令して、誰が言うことをきくなどの判断が簡潔になる。だから、縦社会の方が発達障害の子には生活しやすい。どうしても優秀な子供を集めて組織をつくると縦社会になってしまう。


 しかも、発達障害の子供というのは、とても律儀だ。縦社会が好きで、しかも過剰に律儀なのでどうしても天下りなどの問題が起きる。「先輩に恥をかかせてなるものか」とじゃんじゃん天下り先をつくってしまう。


 昔、大学の先輩で、大学を卒業してからも毎週土曜日に大学に来る先輩がいた。なぜ、仕事もしているのに、毎週来るのだろうと不思議に思っていたが、どうも学生自治会の会長の座の問題だったようだ。その先輩は学生自治会の会長だったのだが、この会長の座に自分に尽くしてくれた後輩がつくまで心配で見に来ていたようだ。


 ただ、その後輩が同級生から蛇蝎の如く嫌われている子だったので、そういった人をまとめる立場には向かないだろうということはすぐにわかるのだが、発達障害の人の律儀さは異常だ。人の適性など一切無視して、とにかく後輩のためにしてやれることは何でもしてやろうとする。だから、上手くいかないのだが、これは会社や官僚組織でも同じことだろうと思う。


 自分に尽くしてくれたかどうかなど過剰に律儀なので、そういうことを組織の運営など考えず判断基準にしてしまう。結果、組織運営が滞ってしまい、組織全体がダメになってしまう。傍からみると、おべっか使いばかり重用すると見えるのだが、実際には過剰な律儀さが原因となっていることは少なくない。


 発達障害の子供というのは過剰に律儀なので、組織の下部にいるには問題ないのだが、上のほうに来ると途端に組織を壊してしまう。官僚組織だけでなく、会社などもいい大学を出ているのに、おかしな判断ばかりする人がいたら、発達障害を疑ってみた方がいいだろう。

 

 

 発達障害の子供というのは思考力が低い。だから、物事の判断が得意ではなく、どうしても極端から極端に行動しがちだ。


 例えば、お金を使ってもいいよというととことん使ってしまうし、逆にお金は大切だから貯金しなさいというとまったく使おうとせず、必要な出費さえ行わなくなる。昔、大王製紙のぼんぼんがバカみたいにギャンブルにのめりこんで、お金を使い込んでしまったが、ああいうことはよく起きる。あの子も東大出だが、決して頭が言い訳ではないのだろう。


 日本の教育制度ではどうしても極端に優秀な子を評価しがちだ。結果、どうしてもちょっと極端な子供が大学教授や官僚になる。すると国民からすると困ったことが起きる。


 一番の典型例は東京都の一滴ルールだろう。この一滴ルールというのは、昔、下水道の工事をしていた職員が、急な雨で流されて死亡したので、それ以来、一滴でも雨が降ったら全ての水道工事を中止するという極端なルールだ。


 このルールのおかげで、一滴雨が降るだけでも工事を中止しなくてはいけなくなるので、工事期間が長くなり、費用もかかるようになってしまった。東京都などはかなり優秀な職員が多いので、どうしてもこういうバカなことをしてしまう。


 普通の人間がやっていれば、当初は一滴でも降れば禁止としても、その後は雨量や水かさのデータを取ってどの程度から危険か判断して、現実に対応できるものに変えていくのだろうが、優秀な子にはそういうことができない。何でも極端から極端にやってしまう。


 そもそも職員が流されて死亡したのであれば、それまでは何の規制もなかったということだ。そんな危険性なら予測がつきそうなものだが、まったく創造力が欠けているのでできない。そして規制をかけるなら適度なところでの判断などできないので徹底的にやってしまう。


 日本は何か規制するときにどうしても極端から極端にやってしまう。これはそういう少し変わった子供を官僚や学者にしているので、どうしてもそうなってしまう。ただ、決してそれが社会に適応した方法でもないし、唯一の方法でもない。まともな人が考えればもっと上手い方法はできるのだ。

 

 李氏朝鮮王朝が、極端な科挙制度をやった結果、政策や法律が現実とまったく乖離してしまって国家が極度の貧困に陥った。日本もまたその轍を踏みつつあるような気がしてならない。


 日本人がしっかりと肝に銘じておかなくてはいけないのは、東大生は決して頭が良いわけではなく、単に極端なだけだということだ。実際に本当に賢い人というのは普通の人なのだ。


 日本の大学入試制度やキャリア制度はとても客観的ですばらしい制度だが、決して適切な人材を選抜できるわけではないことを知っておかなくてはいけない。

 大学に入って一番おどろいたのが、一見して発達障害とわかる大学教授がとても多いことだった。ある大学教授は、東大を全て優で卒業して、大学教授になったというとても優秀な人なのだが、研究室に行くとロボットのプラモデルがところ狭しと並べられておりおどろいた。


 基本的に発達障害の子供というのは優秀だが、過剰なほど優秀なのでかえって困る。先生の言うことは何でも真実だと思い込んでしまう。テストをすれば非常に良い成績なのだが、単に異常に信心深いだけで、決して頭が良いわけではない。


 発達障害の子供がよく大学教授やキャリア官僚になれるのは、やはり文章がとても上手に書けるからだ。発達障害の子供が書く文章というのは、とても上手い。一番はやはり正確なのだ。


 発達障害の子供というのはどんなことでも正確でないと理解できない。例えば、「東京学芸大学教育学部付属中学」なら、正確にそういわないと理解できない。ここで「東京学芸大学付属中学」と略すともう理解できなくなってしまう。


 だから、文章を書く際にも非常に精密で精緻な文章を書く。接続詞や助詞の使い方などが少しでもおかしいとわからなくなってしまう。結果、とても上手い文章を書く。だから、論文などもとても上手に書くので大学教授にもなりやすいのだが、問題もある。


 医学の本を読んでいてとてもおもしろいと思ったのは、よくイギリスの実験ではとかアメリカの実験ではという話が出てくるのだが、不思議と日本の実験というのものが出てこない。なぜ、日本のことを書いているのに日本での実験結果がないのだろうと不思議に思っていたが、おそらく実験が思いつかないのだろう。

 

 発達障害の子供を教えていると、とても優秀なのだが教えていないことはまったくできない。そもそもあまり疑問に感じることもなく、こちらの言うことを何でも信じてしまう。そして、自分で自発的に何かを考えることがとても苦手だ。


 大学の先生がよく偏差値教育の弊害という言葉を口にしていたので、「先生、その偏差値教育の弊害というものはどういうものなのですか?」と問うとわからない。いつも口癖のようにいっているので、何か実験でもして「害」を見つけたのかと思ったがそうでもないらしい。そこで「先生、その偏差値教育の弊害というものを証明するにはどのような実験をすればいいのですか?」と問うと、もうまったく思いつかない。


 テレビや何かで偏差値教育の弊害という言葉を聴いたので、それでオウムのように繰り返し繰り返し言っているだけで、それがなんなのかも知らないし、そもそもそれがなんなのか疑問にも思わない。日本の大学教授というのはとても優秀なのだ。


 発達障害というのは理解力にあまり影響を及ぼさないので、優秀な発達障害の子はたくさんいるのだが、この子達はとても思考力は低い。物事を疑問に感じたり、自分で考えたりすることはとても苦手だ。だから優秀なのだが、大学教授にしてみてもほとんど意味がない。日本の東大がハーバード大学に比べて補助金を5倍くらい受け取っていても敵わないのは、やはり人材の選び方の問題だろう。