『ごめんなさい』のおはなしの続き。

 

誰かに対して悪いことをしたのだったら
直ぐに謝るのは当然なのだけれど、
モラ夫の場合はちょいと違った角度で攻めてくる。

 

子供が間違って紙ナプキンを落としてしまい、

それを直ぐに拾わなかったことで

「ごめんなさい」と言うことを強要する。

 

私は強要するまでのことなのだろうか?

と思ってしまうだ。

 

誰に対して何に対しての

「ごめんなさい」なのかが分からないのだ。

 

『謝らせることが重要』なのか、

『謝らせることが彼女の為』なのか。
『なぜに誤って欲しい』のか。

 

わたしでも分からないのだから

小さな子供だったら尚更だろう。

 

ここで

 

小さな子供がミスをして

それを

「なんでそんなことしたの!謝りなさい!ごめんなさいは!」とだけ言うと、

子供はミスを恐れることが強くなるだろう。

 

でも、

「次からは気をつけようね。」と言うと、

子供は次から気をつけることを学ぶだろう。

もしかしたら、

素直にそこで「ごめんなさい」と言う言葉が

言えるかも知れない。

 

 

また、このパターンを大人で考えてみると、
数人の友達と食事に来ていて

その中の一人が

間違って箸を落としたとしよう。

その時に、

この箸を落とした人が

箸を拾わなかったら

他の誰かが直ぐに拾わなかった人に対して

 

『なぜ拾わない?謝って。ごめんなさいは?』

 

とは大人なら「ない」であろう強い言い方での指摘。
そんなことを言うと、

一気に場の雰囲気が

『え?』何それ?となるだろう。

 

でも、

 

『なぜ拾わない?謝りなさい。ごめんなさいは?』
 

と子供には強い口調で言って良いと思っていることが

どうしても腑に落ちないのだ。

 

これは親だから言っていいことなのか。

これは躾なのか。
ただ、モラ夫にはそれが当たり前のようだ。


 

だから私は今だに

 

『お前が悪いのだから謝れ』

『謝ったら許してやる』

『反省しろ』

 

とモラ夫によく言われる。

私が全然悪くなくても💦

 

私には理解不能なのだが。

ま、

その前に紙ナプキンが落ちただけでも

長い説教になること事態

理解不能ではあるのだが…。

 

躾と支配は紙一重。

 

モラ夫の場合は、

躾ということが

従順であると言うことに繋がっているのだろう。
 

従順であることは

彼の支配欲を満たすことだから。

 

従順でない妻は
彼の支配欲を満たさないので

その為には

強い攻撃となって
顔10センチほどのところで

怒鳴るしかないのかな…。

 

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