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前にも少し書きましたが友達の個展に行って来ました。


高校からの友達なのですが、なんとまー成長しちゃって!!

一点一点に力がこもった作品ばかりでした。


上の写真は雨子の一番のお気に入り。

でもこんな感じのガーリーな作品はもう描かないみたい。ちょっと寂しい。

今はもっとダークな感じで、心の内面がより現れているような作品を制作しているようです。


いや~なんだか目が離せませんよ!(^-^)

どんどん成長していってて、作品もグレートアップしてて!


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最後になおちゃんをパチリ


一つのことを、ずっと続けている人ってほんと尊敬しちゃいます!


なおちゃん!益々のご発展、楽しみにしてるよo(^-^)o


今日はうちの親父の三回忌でした。


親父は72歳で他界して、その72年間は波乱の人生でした。


そんな雨子の破天荒親父について、少し語ってみたいと思います。


父が子供の頃はまだ戦時中でした。あまり父は戦争について語りたがらなかったのですが、私はよく当時の事をたずねていました。


「地獄を見た」


そう言っていました。
防空壕を掘ったり、死体を焼くのを手伝ったりしたそうです。

戦後は貧しく、よく梅干し一個でご飯を食べたと話していました。
我が家の家訓「梅干しは種の中まで食べる」
雨子もこの家訓のせいで、梅干しの種の中身が大好きになってしまい、たまにガリガリ種を割ってると友達に引かれます(^-^;)


父は七人兄弟の次男でした。理由はよく分からないのですが、中学生位の時に親戚のところに養子にもらわれていったようです。昔は親戚間でそういうことはよくあったようです。


そして父は東京で高校生活を送ることになりました。しかし、養父と折り合いがつかず、家出をしました。原因は父は画家を目指していて美大に行きたいと言ったのを、猛反対されたからだとか。


そして浅草辺りをぷらぷらしているところを、ヤクザの親分に拾われ、ヤクザの世界に入りました。

この頃、パブの経営していたようです。

しかし、父はヤクザの世界に馴染めなかったようです。仲間のヤクザと一緒に夜逃げのように逃げてきたのです。


どんなことをしていたのかはわかりませんが、父の肩には短刀で切られた傷が残っていました。


そしてヤクザから足を洗い、地元で家具屋をはじめました。ちなみに、相棒のヤクザは凧の絵付け職人になりました。


そして結婚して私達が生まれたのですが、小さい頃の私からみた父はとっても自由な人でした。


経営者ということもあってか、仕事そっちのけで絵ばかり描いている印象が残っています。


それはそれは大きなお釈迦様の絵でした。

私もモデルとして小さい頃はよく描いてもらっていました。
また急に書道に目覚めて部屋中書道紙だらけにしてみたり。
また釣りにこって、一日中川に行っていたり。


この頃が一番父にとって幸せだったのかもしれない。


バブルがはじけてからは本当に地獄でした。


父は死ね直前まで悩みを抱えていました。


今は天国で大好きな絵を描いているといいなあって思ってます。


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これは雨子にとって大事件ですよ!!!!!!!!!!!!

あの私の生みの親松本人志が!

あの私のスーパースター松本人志が!

あの私の心の支え松本人志が!


☆☆☆☆☆☆☆☆
☆結婚です!!☆
☆☆☆☆☆☆☆☆

これは大大大事件ですよ!!


雨子の友達ならみな知ってると思いますが、私は松ちゃんへの思い入れが凄まじいのです!!

この思いはいつかここのブログで書こうと思っていたのですが、(いつか熱い思いを書かせて頂きます。)急な結婚発表に驚きを隠せません(@_@;)


しかもベイビーが!☆

あの天才の遺伝子が残るのですよ!!


これは本当に素敵な事件ですよ!!!!!


松ちゃん本当におめでとう!!(>_<、)☆

わしゃ嬉しいよ(;_;)


愛しております。
雨子