Blank film
アメーバさんのブログを間借りして写真日記をつけてゆくことにしました。
これまでも自分のホームページで日記を付けていたのです。
それでもここを開設した経緯は簡単でした。
「まおはもっと写真をいろんな人に見てもらいたいなら、あんな変な日記じゃなくてちゃんと写真とかを載っけた日記をつけたほうがいいよ」
という友人の一言でした。
へんなにっき。
わかりました。僕の日記が変かどうかは別として、確かに写真を日記として紹介することはいいことのように思いました。むしろ画期的に思われました。
そんなこんなで写真日記でした。
頑張ってゆこうと思います。

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浴槽

それから僕は悩んだりどうでもよくなったりしながら、それでも写真を撮り続けています。

以前まで、テーマを決めて撮影する、ということに熱心でした。
「この人の写真はこういう感じ」
みたいなものが欲しいという安直な理由でした。

それで選んだテーマは「華と水」でした。水の滴る華、というものが好きだったからでした。

浴槽と華

浴槽と華

浴槽と華

こういった写真を撮ってみたい、と思って初めて自分でセッティングして撮影した記念すべき写真たちです。おおよそ500枚くらいの写真を2ヶ月程にわたって撮影し続けました。
と言っても華は貰い物、場所は自分の部屋の浴室というチャチなものですが。

しかしこの浴室も、アパートの老朽化と共に取り壊されてしまいました。
今住んでいる部屋はいわゆる平成物件で、このアパートのような味のある浴室はついていません。ビジネスホテルのような簡素なユニットバスが設えられているばかりです。

立退料に目がくらみ、ほいほいと引っ越しをしてしまいましたが、今思うととても勿体ないことをしてしまったように思います。

海に沈む少女の夢 其の2

「写真とはなんぞや」
そう思ったが最後、僕はそのことで頭が一杯になってしまった。
絵でもグラフィックでもなく「写真」にしかできないこと。「写真」でなければならない理由。

この答えはまだ僕の中ではない。

友人にあることを言われた事がある。今のところのそれをその答えにしているので引用する。

「例えばお前の写真は奥行きがない。表面にただインクをべとっと塗ったようにしか見えない。俺はこういう写真で感動はできない。感動できないということは写真になりきれていないのだ。じゃあ、写真ではないこれはなんだ。ただのお前の欲求を満たすためのものでしかないのではないのか?」

なんとも。
僕は「自分の欲求を満たす為のもの」を人様に見せていたというのか。
うーん。

海に沈む少女の夢

初めての記事である。
この記念すべき記事を書くにあたり、様々なことを思案した。しかし、一向にこういったブログのようなものではどんな事を書く事が、或はどんな写真を載せる事が望ましいいのか思い浮かばず、取り敢えずは始めの一枚にこの写真を選んでしまった。

海に沈む夢を見た少女

このグラフィックっぽい、と言おうか、嘘っぽいと言おうか、まあ合成写真なのであるが、それでもまあ、困った時にはこの写真を人目に曝すことにしている。つまるところ気に入っている。

これは僕がフォトショップをパソコンに入れて一番始めに作成した合成写真である。
この写真が出来上がるまでの経緯は以下のようなものであった。

「フォトショップを買ってみた。使い方を教えてくれ」
「よかろう。あーでこーでこういう事ができる優れものである」
「成る程。大体は理解した。で、これは写真の合成なるものもできるのかね」
「無論。フォトショップは全知全能、なんでも容易くこなせる神のようなもの。いいかい、よく見ていたまえ、例えばこれとこれならば、ほれ、この通り」
「おお、これはすごい、綺麗にできているな」
「当たり前だ。しかしこの二枚はたまたま色が似た系統うんぬん。合成はなんでも足せば良いものではないうんぬん」
「そうなのか。しかし良くできているな。気に入った。保存をしておいてくれ。やり方分かんないから」

呆気ない写真の誕生であった。

それ以来、僕がこの写真の合成という作業をいたく気に入り、没頭したことは記すまでもない。
化学反応のような作業だと思った。掛け算のような作業だと思った。なんでもかんでもくっつければ良いと思った。
そして、その作業はことごとく失敗に終わった事もまた、記すまでもない。
なんでもかんでも足せばいい訳ではないと言う友人の言葉は正しかった。ビギナーズラック。正確には合成の作業をしたのも、二枚を選んだのも友人なのだが。

今僕は殆ど合成をしない。
それどころか折角買ったフォトショップも今は殆ど用いない。

面倒くさい、というのが第一の理由であるが、それ以外にも理由はある。

あるにはあるのだが、自分でもその正体は判然としない。
おそらくこの写真の持つ「嘘っぽさ」に起因しているのだろうが、これを「写真」と呼ぶ事に些か抵抗を感じてしまうのだ。そして思う。写真とはなんぞや?