美空ひばりが死んだ時、驚きはなかった。体調不良は以前から言われていたし、
不死鳥のような復活も風前の灯のような最後の光芒に見えた。
島倉千代子の死を知った時は、思わず絶句した。最近はラジオのレギュラー番組に
出ないなと思っていたが、スケジュールの関係なのかなどと気楽に考えていた。
美空ひばりが超絶技巧の歌手だとすれば、島倉千代子は少なくとも技巧の歌い手では
なかった。不思議なことにどんな哀しい唄を歌っても、明るく透明に澄んでいた。
声音の奥に優しさと人柄の良さが透けて見えた。
だから、子供の頃から美空ひばりより島倉千代子が好きだった。
いろいろなトラブルに巻き込まれながら、長く芸能生活を続ける事ができたのは、
人柄も愛されていたからだと思う。
私が二歳の時に「この世の花」で正式デビューしている。
まさか二歳では記憶している訳もないが、当時の歌謡曲は息が長いから、
幼少期にはラジオ、テレビで耳馴染んだものだろう。
四歳の時に「東京だョおっ母さん」が出ている。
十五歳で異色の「愛のさざなみ」をヒットさせた。
ポップ調のこの歌を軽々と歌っていて驚いた記憶がある。
美空ひばりの「真っ赤な太陽」には気恥ずかしさを覚えたが、
この歌には違和感がなく、そのさりげない才能に目を見張った。
三十四歳の時「人生いろいろ」をリリース。(千代子四十九歳)
島倉千代子自身、二十代の離婚。三十代の借金生活を乗り越えて、
この歌を開き直るでなく歌いきり、懐の深さを感じさせた。
思うに、私の今までの生涯には常に島倉千代子の歌声があったのだ。
ハラハラと涙が溢れるのも無理はないのだ。稀有な人だった。合掌。