このことについて触れるのは、初めての事。
なかなか文章に出来なかったことは事実。
それだけ、思い入れの深いものだった。
実は、創設時から所属していた和太鼓のチームを2012.4に卒業した。
それから3ヵ月後、チームは解散となり、今は存在しない。(同じ名前のチームはあるが、もはや別物といっていいと思う。私が所属していた頃と形態が全く変わったので)
チームが解散となることはわかっていたし、あとはそれぞれのタイミングだけだったので、私は4月を選んだ。
あれから4ヶ月が過ぎた…
活動中も、卒業してからも、様々な葛藤があったし、辛い思いも、寂しい思いも、悔しい思いもたくさんあった。
私自身、切り替えようと思っても簡単に割り切れるものではなかった。なぜなら、今までの活動に多くの時間とエネルギーを注いできたからだ。
ただ演奏者としてそこに存在するのではなく、チームの事務局で会計を任され、1つの出演ごとに細かな計算をして、メンバーに出演料や経費を支払ってきた。これには、想像以上の時間がかかった。それでも、雑務をこなしてきたのは、チームの一員としてやるべきことだ、と思ってきていたからだと思う。
わたしは、思うことは口にしてきたし、私なりにどうすればいいのか、その都度考えてバランスを取ってきたつもりだった。だからこそ、仲間との絆が生まれたのだと私は思ってきた。立場をわきまえて行動を取る事は、時として自分を押し殺さなければいけないこともあったし、わざと馬鹿にされるような言動や行動も取った。(まぁ、これは大げさなことではなく、仲間内で飲み会に行ったときの要は盛り上げ役だったことがほとんどではあるが)
私は、ストレスが溜まったときの自覚症状がどうやらないらしい。辛いとき、悔しいとき、悲しいとき…一番先に応えるのは常に体だった。学生時代、体調を崩したので病院に行き、診察してもらっても異常がなく、結局原因は過剰なストレスだったし、今回は滅多に引かない風邪を引き、それがなかなか治らなかったり、常に貧血っぽくてクラクラしていた。ヘルペスも通常より再発を繰り返していた…。
さすがに今回のは原因は分かっていたので、それをごまかすのに必至だったし、わざと忙しく動いていたことも事実だった。そうすれば、余計なことは考えなくて済むから。
結末があまりにもあっけなく、自分の意思に反していたこともあり、それまでさんざん協力してきてくれた家族には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
こんな結末を迎えるために時間を割いてきたわけではなかったから。
考えれば考えるほど、どつぼにはまっていった。
もちろん、辛いことよりも楽しくて、うれしくて、幸せだった瞬間はその何倍もあったのだと思うが…。
ここで書くにはあまりにも言葉が足りなすぎるのだが、それでも文章に残そう、ここで終わりにして前に進もう、と思えたのは、つい先日、溜まっていたっものが大爆発して、それはもう取りとめのないものだったのだけれど、それを受け止めて、共感してくれた人のおかげだと思う。その人には、本当に心の底から感謝している。ありがたい…。
その人に感謝し、そしてもう一度…大好きだった和太鼓を、初心に戻って楽しく、のびのびと、今度こそ私らしく活動できるようにしていきたいと思う。