転院して1か月も経たない頃、骨髄移植の話をされた。

準備期間を経て、遅くとも2,3か月すぎるまでにはやるそう。そのために型を調べた。

家族になってもそこは他人で、私が適合するなんて奇跡。今は完全一致でなくてもできるからって、血縁関係のある身内が検査した。

一緒に居るだけでは病気は治らない。できるだけそばにいてあげたいって思っていても、本人にはどう伝わっているかわからない。

その時に必要なものと治療費を用意することしかできていない自分がいかに無力か。さみしかった。

始めのうちはほぼ毎日行った。行けなくても2日空けるとかはほとんどしなかった。

ただ会ったときは、ほとんど病気の話か先の金銭的なこと。どうしても明るい話が出なかった。

当時の私はパートだったから金銭的なことは気にしなくていいよなんて言える立場ではなかった。

しっかりしなきゃって、主人が闘病にしっかり専念できるようにしなきゃって思っていても、私はそんなに肝が据わっている人間ではなかった。すぐに顔にでるし、態度にも出る。余裕がなかった。だから私でなくて主人の周りの仲間が顔を出してどうにか力をあげてくれないかなって思った。何人か来てくれるってわかったときはほっとした。

 

入院して、抗がん剤治療が始まってすぐに主人が坊主になった。副作用で抜ける前に。

本当に白血病の治療してるんだなぁって思ったのを覚えている。色んな薬や点滴をしていてもピンときてなかった。

数週間経った頃には、髪の毛が抜け始めた。ドラマとかで見たことのある光景。泣けた。

話を聞いていてもどこかうわの空だった。だからはっきりした形で目にして初めて現実を受け入れる感じだった。診断書を読んで病気っていう現実を目の当たりにし、ハゲていく本人を見てようやく置かれている状況に目を覚ました。

 

毎日でも通ってあげたかったけれど、そうは行かなくなってきた。家のこともあるし、第一守らなきゃいけない子どもたちがいたから。

方針が決まって、それに沿った治療が始まったころ、仕事に戻った。

しばらくは貯金を切り崩そうって思っていたけどいくらでも稼がないとどうしようもなかった。

だからパートをやめて社員も視野に入れた。ただ立派な学歴があるわけでもないし、資格は車の免許ぐらいであとは今更使えないものばかり。

いくつか面接したけどことごとく落ちた。

主人のことを放っておけない。子どもにもさみしい思いさせたくないって思った結果、結局、とりあえずは病状が安定するまでは貯金+パート代でやりくりすることにした。

転院する日、午前中に会計を済ませた。

次の病院には午前中ついたけれど、再検査に骨髄検査を加わって時間かかった。

ざっとわかる範囲で説明があったけど、正直何を聞いてもピンと来なくて、理解できたのは白血病が急性骨髄性ってことと、少し奇形ってこと。

細かく調べて、また別の日に説明を受けることになった。

結局その日落ち着いたのは18時半を過ぎた頃だった。

 

家へ帰ると、子どもが熱を出していた。39度超え。まだ2歳だけれど何かを感じ取ったように思えた。私がしっかりしなくちゃって強く思った。