今日は斜里町のお寺へ
鬼子母神例大祭を行いました

その前に
境内の慰霊碑にお参りを

これは1807年に津軽藩士が殉難された供養の碑であります。
蝦夷地の北方警備として津軽藩の方が知床に入植
寒さと飢えにより病気などで亡くなりました
当時の知床はとてつもなく酷い所のようでした


毎年、ねぷたまつりの初日に斜里町での慰霊祭が役場裏手の慰霊碑で行います

こちらはお寺で管理しているもので、
鬼子母神例大祭と合わせて信徒の方たちでお参りをします

津軽藩士とのご縁もあって、斜里町は青森県弘前市と交流があり ねぷたまつりが行われます。

その後は本堂に戻って、鬼子母神例大祭が行われます

鬼子母神は字の通り鬼であり100とも500ともの子供がおりました。母なる鬼は人間の子供をさらい食べようとしていました。

人間の親は悲しみお釈迦さまに相談します

お釈迦さまは鬼の子供を一人神通力により隠してしまいます

鬼の親は死にもの狂いで東方西走駆け巡るが見つかりません
お釈迦さまにすがり付きこちらも相談します
人間の子供をさらっておいてからに自分は500人もの子供がいるにもかかわらず1人だけでも心配するではないか
と、諭します

するとこれからは法華経を護る守護神となることを誓ったのです

そうして仏さまになりました

その仏さまのお祀りであります

祈祷修法
木剣という法具で数珠で打ち鳴らし、悪を退散させます
荘厳な空気の中響き渡る木剣の音が体に響きます
速いお経もこの宗派ならではですね

僕のお経の唱える声も聞こえていたらスミマセン