そんな私だが、ちょっと困った家庭でそだった。

 

芸術家というのは誠に難しいもので、強い激しさをもっている。

詳細はご想像におまかせするが、芸能人を見ていても常人とは違うなにか難し側面があることは想像できるだろう。

 

 

そして、父もうつ病にかかってしまい、そのときはお仕事を休んでいた。

 

それだけだったら良かったが、そのときは、父、母ともに体調が良くなく、また祖父、祖母にも頼れる状態ではなかった。

 

 

 

 

そして、母は子供の時から英才教育ずけだったので、ぼくにあまり英才教育するということについて賛成はしなかった。

具体的には、岡山市から東京都に1週間に1度程度通っていたそうだ。

 

 

そして、私自身、そのことについて、なにも疑問に思わず、大人になっていく。。。

 

今となっては、なんとも不思議な家族構成だ。

私のおかあさんはピアノ講師だ。

そんな母は結構ストイックな性格で、一日3時間ピアノを練習することを日課にしている。

そんな性格だからか、おとなになってもピアノを習いにいっていた。

 

母が習っていた先生をA先生としよう。

 

このF先生、結構美しい先生で、岡山市の文教地区である津島にお家を構えていた。

 

 

 

背丈がまだまだ1mを超える前から、ぼくは母についてピアノ教室につれていて行かれていた。

 

そのときの色は、白と黄色が入り混じっていたイメージで、希望に湧いた90年台を象徴するような色だった。

 

 

 

話が少しそれるが、昔、岡山市の近く、福山市に「そごう」という百貨店があった。

このキンキンキラキラ、豪華絢爛の百貨店にもどこか似ている気がする。

 

 

この輝かしい時代を過ごせたことを私は、すこし懐かしく、そしてあたたかく感じる。