そういうこと。
それって誰にでも
言える事でしょう?
相手が誰でも言えることでしょう?
難しいことは考えない。
現実的になれ。
相手にあわせるんじゃない。
自分はどうしたいのか。
それがあってこそでしょう?
何を思って大学に入った?
何を思って会社を決めた?
それを実行するだけ。
モノになるのはすぐじゃない。
英語だってまだこれだから。
もう一回、ちゃんと考えなきゃ。
そういう私でいなきゃ
毎日が楽しいのは
自分が頑張ったから。
頑張らないで、楽しい毎日なんてない!
ジャンルも変えて、
新たな気持ちではじめますか!
ずいぶん放置してましたが。
なぜ、ブログを書くのかを自分の中で決めたから。
これは
あの子が成人式を迎えたら渡そう。
びっくりするかな。
びっくりして!![]()
手書きじゃないけど。
そこがちょっとあれかもしんないけど。
まあまあ。
頑張れなくなってる自分に気づいたよ。
前より確実に頑張れなくなってると思う。
前より自分に甘くなってると思う。
もっと頑張っていたと思う。
でもそのときは
頑張ってる自覚なんてなかった。
ただ、
今よりも、
ただただ
自分に厳しかった。
厳しくすることがいいとか
わるいとか
そういうことではなく、
ただ、
ただ、
厳しかった。
それが周りからは
「頑張ってる」っていうふうに
思われていたかも知れない。
でも、
そう言われて
自分で
自分は頑張っていたとは
思えてなかった。
ただ、
動いていた。
確認するために
動いていたように
思う。
どういうのを
かんばっているというのか。
自分の苦手なものを
克服しようとする姿か。
なにか行動を起こしてること
全部をさすのか。
がんばっていたと
自覚するのは
いつなのか。
がんばれていない。
いつの間にか
手を抜くのが上手になって
手を抜いてることすら
気づかなくなってる。
「熱い」っていうのが
どういうことだか
分からなくなってきている。
なにが「熱さ」だか
分からなくなってきてる。
誰かを掻き立てるような
ことがしたい。
人に影響を与えること。
そのひとの人生に参加すること。
でも、
それを意識してとる行動って、
本当の自分の行動なのかな。
自分がやりたいことをやること、
それが
自分の道をつくること、
誰かからみたら
誰かの真似になってるかもしれない、
だけど、
真似してる自分も自分。
何を真似してるのかを
無意識に選んでるのも
自分。
たくさんの事例がある中で、
それらすべてを
模してるわけじゃない。
だから、
やっぱりそこに自分のチョイスがある。
やりたいと思った
そのことを
正直に、
やってしまうのが
いいんじゃないのかい?
自分と違う人を
受け入れられなかったり
その違いを
指摘しないのは
やさしくないのか、
叱らないのは
優しくないのか、
それは、
叱るほど
確実な善悪のラインがあることなのか。
チョイスの違いと考えれば
叱るなんてことは
ほとんどできない。
自分がすべて正しいというわけではない
という
理論の中で
叱る
というのは
非常に難しいもんだいで
他人に対して
そこを諦めるのが
冷めてるってことなんだろうか。
精一杯尊重して
なにも言わないっていうのは
結局冷めてるように
うつるのだろうか。
でも、
その違いから
その人から離れてしまうのは
しかたないことなんだろうか。
離れてしまって
解決なんだろうか。
もしくは、
叱ってみるが、
それでも分かってくれなければ
離れるしかないんだろうか。
でも
それって、
結果論になっちゃうかもしれないけど、
叱ってみるからそのときは熱いかもしれないけど、
終わってみれば
離れている。
それって
本当の熱さなんだろうか。
そこからは
熱さの問題じゃ
ないんだろうか。
とりあえず、
自分の基準をぶつける、
そのことが
熱さというのだろうか。
どうもしっくりこないのは、
反発心のせいだろうか。
ただ
認めたくないだけだろうか。
熱さって
なんだ。
最近は
チームワークに
興味を持ち出してる。
一人ではできないこと。
その団体でしかできないこと。
その団体だけがもつ可能性。
「自分は違う」
っていってしまって、
一緒にやることが少なくなるのは
その可能性をワクワク思うこころを
もてない。
人生の楽しみが一個減る。
やだな~それ。
一人でもできることの
可能性より、
一人でもできることをもった
複数が集まることで
できる可能性のほうが
大きい。
掛け算だ。
19だ。
僕がゼロなら意味がない。
私はあっていい。
そうじゃなければ楽しくない。
自己主張することの
大切さ。
こういう観点から。
笑わせようとしてるひと以外を
笑うのは
やっぱりいけないと思う。
そういう人は
絶対
自分が笑われたらちょー傷つくくせに。
そういうのやだ。
思わず笑っちゃうっていうのは
あるかも。
でも
するなら
思いやりをもって。
今日は
つらつらと
難しいことを書いてるけど、
まだまだ続く。
最近は
価値があるものって
何だろうって考える。
自然にあるものなのか。
人為的に作ったものなのか。
ゴールドコーストなのか。
六本木ヒルズなのか。
どっちもだろうね。
時間の積み重なり、それは価値ある。それは知ってる。
あえて作りだすもの、
もともと無いのに
あえて作り出したもの。
おちまさとさんふうにいえば
0→1
それも価値あるって分かる。
つまり
ゴールドコーストと
六本木ヒルズは
比べられないってことだ。
同じように
あたしと誰かは
比べられないってことだ。
比べるときは
そこに
同じフィールドがあるはずだ。
英語力においては、
わたしより誰かのほうが、とか
点数が出るものなら
わかりやすい。
そうやって
資本主義の国では
労働力として
ヒトが登場するわけだ。
社会では
何も期待してはいけない。
自分のそこだけを見て
世界は回ってるのだ。
そこを
社会の歯車の一端として
自分は提供してるんだ。
会社が私のことを分かる必要はないし
分かってほしいなどとさらさら思わないし
分かってほしいという気持ちさえ湧かない。
だって資本主義のシステムの理論の中に
感情なんて口を挟むところは1ミリだってない。
だったらこっちもそこは死んでいける。
むしろ楽だ。
傷つくなんてことはさらさらない。
もとも感情を持って接してないんだから。
優しさって
作リ出すものだと思う。
だからヒトの優しさにはちゃんと感謝の意をこめる必要がある。
自然な優しさが一番優しいっていうけど、
それは
あえて作りだしたものじゃない。
だからそれが本当の優しさだっていうかもしれないけど、
でも、
あたし
やさしい:優しくない は 生まれつきだれでも半々持ってると思う。
もともと冷たいヒトなんていないし
もともとやさしいヒトなんていないと思う。
歩んできた人生で、環境で、いろんな要素が
組み合わさってくんだと思う。
やさしいひとは好きだ。
だから私も優しくなりたい。
初めはわざとらしいかもしれないけど、
そのうちそれが板について
自分でも気づかないうちに優しさ60パーセント、70パーセントと
レベルがあがっていって、
おばあちゃんになる頃には
100パーセントになりたいな。
冷たいおばあちゃんとか、
どうなのよ?
やだくない?
うそ偽りないやさしさって、
分かるヒトはきっと分かると思う。
そうやって
自然と
あんまり意識せずに
おばあちゃんになったら・・・・
ってくらい目安にしながら
優しくなりたい。
だれかと
一緒にいて
居心地がいいと
思わせるヒトになりたい。
わたしといると
ストレスが消えてくよって言わるような
ひとになりたい。
わたしも
そういう人に憧れる。
どんどん結果を出してく人は
かっこいい。
でも、
自分がなりたいのは
そういうんじゃなくて、
こう、
なんての?
存在感あるような?
落ち着くような?
飾らずにいれるような?
他の要素全部脱いだ
その人そのものと向かい合うような?
そこに入り込むような人に
なりたい。
そこが
みたい。
そんで
そのとき
いいほうを見ていたい。
自分のそこも
誰かが見て
離れていくかも知れない。
でもそのとき
嘘をついちゃいけない。
悲しいけど
そういう人生なんだ。
もとのもとなんて
誰にもわからない。
というのは、
みんなに共通する言葉で表すことはできない。
卑屈になるのではなく、
結果を真摯に受け入れるしかない。
そんな私も
生きてて価値はあるはず。
多様性。
そういう人生だって、
あっていいんだと思う。
その中にも
絶対いいことも幸せもあるんだ。
そっちに目を向けよう。
楽しむこころ、
幸せに気づく心。
今が幸せなのは
とても幸せなこと。
今そばにいてくれるひと、
友達でいてくれてるひと、
みんな、みんな、
ありがとう。
ありがとう。
楽しい気持ちにさせてくれる音楽、
うれしい気持ちにさせてくれる絵本、
文庫、歴史、エピソード、
みんな、みんな、
ありがとう。
いてくれて
ありがとう。
(レミオロメン)
人生ってなんだ。
生きてる間にできることってなんだ。
残すこと?
あたしが死んでも
世の中は回ってく。
痛いくらいに
ほんとに
何もなかったように回ってく。
痛いくらいの
事実。
あたしが
生きてることすら
知らない人はいっぱいいるのよ。
知ってほしい
忘れてほしくないよ
みんなそう思って死んでったんだろう。
今死んでる人は。
だから
そういう人を
せめて思い出すことで、
その人について
想いをはせることで
供養になるんだ。
とりあえず
私の生きてるうちは
貴方の存在を感じてる人がいるよって。
ホント、
それ、
一人でもうれしいよ。
そう思ってくれる人がいるの。
だから
思ってあげよ。
私が思ってあげれば
誰かもきっと私を思ってくれると信じる!
信じるって、
確率50パーセントのことに使うよね。
そう考えると
わたしのすべての行動は
結局自分のためなんだろうかと
思う。
でも、
じゃあ、
自分のためだな、それじゃほんとのやさしさじゃないから
そんな偽善をやめようって
やめちゃって
いいの?
それ
やめちゃってなんになるの?
たとえ偽善って言われても
自分が
正しいとか、
これはいいなと
思うことを
恥ずかしがらずにやること、
これもまた
私の人生を作ってく大事な要素じゃないかね。
と、
思う。
偽善って言うのは
「それは偽善だ」
って言っちゃう人の中にあるもの。
偽善なんて言葉はあたしの辞書から消しちまえ!
偽善なんてものは存在しない!
私の世界観には存在してほしくないから消しちゃえ!
悪い人もいない!
悪い人はあたしの世界観から消しちゃえ!
現実がどうであれ、
あたしの世界観にはそんなダークなものが
入り込む余地はない!
楽しげな事でいっぱいだ!
安らぎでいっぱいだ!
あたしの世界観広がれ!!!笑
それで
あたしの生き生きする場も増えるんだ!
みんなが生き生きするのがいいじゃん!!
そんなあたしの世界観広がれば
みんな生き生きするんだからさあ~
みんなが幸せなのがいいじゃん!
みんなが楽しそうなのが
いいじゃん!
最近は国際交流の本を読んでいます。
というのも、
その分野の知識が
ワケあって必要になっているからです。
本を読んでいると、やはり日本が
日露戦争に勝ったのは
歴史上大きな意味があったと
思います。
当時
欧米や他の国が持つ
日本についての情報は
かなり少なかったところに加えて
あの大国への勝利。
「白人」に対して脅威を与えたのも無理はない。
カリフォルニアで日本人排斥運動が起きるのも
その未知の存在に対する恐怖、不安が
アメリカ人にあったからではないのでしょうか。
その中でルーズベルトのとった行動は
親日的だったといえる。
当時のリーダーが彼でよかった。
彼が首相でなければ
日本人はアメリカ人を嫌いになるところでした。
そのあたりで締結された
石井・ランシング協定、ポーツマス条約、
もっと勉強したいです。
小村寿太郎も気になります。
日露戦争のあたりでは外相を勤め、
民間外交の重要性を説いていたが、
彼の目指す目的は
やはりただの支配欲から来るものだったのか。
最近はドイツ人俘虜の話の本を
読んでいますが、
参考になるところや
初めて知ることが多くて勉強になります。
ハーグ協定に俘虜の取り扱い方について
定めてあったらしいのですが、
これがどうも欧米向に作られたものだったらしく、
当時の日本人が解釈できようもない
ものだったらしいです。
その大きな原因は
「神」の存在。
戦争しても
「二度とこんなことはしません」と神に誓えば
俘虜として保護される
という内容があるらしいですが、
日本はそもそも
当時「天皇が神」の
時代。目に見えぬ神などいません。
そして
加えて
「天皇の為に命捧げろ」
の方針。
相容れぬ概念を抱えた日本が
ハーグ協定を調印こそしたが
自国で批准する土壌が無かったのは
こういう矛盾を抱えていたからではないかな
と思います。
日露戦争後、シベリア出兵、
1914年チンタオ島をめぐって
ドイツと対戦。
日本はこれに勝利したわけですが、
このときのドイツ皇帝の対応。
「最後の一兵になるまで戦う」
と現地のドイツ人指揮官は皇帝に
電報を打っていたようです。
しかし、死者が291名、主な砲台の
破壊、水源の破損を受けて降参した時、
皇帝はなんと言ったか。
「最後の一兵までといったじゃないか。」
まさか。
そんなことは入っておりません。
「よくやった」
と。
対して日本。
日露戦争当時の俘虜への対応。
俘虜帰還に際し
陸軍が一言たずねます。
「敵前逃亡か否か」
と。
イエスならばそれは死刑に値する。
陸軍刑法によるところの
義務放棄とみなされる。
「怖いから逃げた。」
というのは許されない。
俘虜の意味をうまく把握できていなかったゆえの
「俘虜になったら殺される」
という認識。
把握できてていたとしても
信じられなかったら仕方ないけど。
俘虜の発想はクリミヤ戦争(1853-1856)
を始まりとする
赤十字の発想からおこったそうです。
「怪我をすれば敵も味方もない」。
敵を殺さず生かしておく。
俘虜の「俘」の字が意味するところです。![]()
![]()
まだまだ知らないことが多すぎる。
ちゃんと知りたい。
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
cococchiのVICEVERCA、SEMPRE、Kartell
行ってきました。楽しかった。
かわいいものは目の保養になるわい。
友達と一緒に行ったのだけど、
私がかわいいなとおもって手を伸ばすものは
「曲線」を描いてるものが多いらしい。
やっぱりボーっとしてても
自分の趣向って言うのは表れるのだなあ
と思ってちょっと面白かった。
自分では趣味に統一性ないな~って
思ってたので意外な指摘で新鮮だった。
でも家具はやっぱり高いね。
社会人になったら手が出るかしら・・・?
最近は
もっぱら「味」のことを考えます。
黒ゴマ(すりゴマタイプ)に
黒蜜は合うと思いますか?
メープルシロップは合うと思いますか?
多分合わない。
いわゆる
味が喧嘩するという現象が起きそう。
黒ゴマは白ゴマより個性が強いから
考えちゃう。
味のことについて誰か教えてください。
一流シェフにいろいろ聞きたい。
具体的な材料同士の組み合わせというより、
「おいしい」を成り立たせるのには
どの要素が必要なのか知りたい。
「コク」「うまみ」「甘さ」「まろやかさ」
はどの食材を用いて出せばいいのかとか
味のバランスの取り方とか。
風味とか食感とかは今のところは
置いといて。
とりあえず味。
よく見るけど、
豚肉とオレンジってあってるの?
有名どころで生ハムとメロンも。
まずは
豚肉とフルーツの甘さのドコが
どのようにすばらしいハーモニーをかなでてるのか
分析できれば自分の料理の
腕前は進化するはず!
ピザにパイナップルとか。。。
(これもドミノピザではハムとコーンと
パイナップルのトッピング。豚肉とフルーツ・・・)
深い・・・
料理は奥が深いや。
そういえば
早実の斉藤君が
「ハンカチ王子」って呼ばれてるのは心外だ。
ネーミングセンスがあるとかないとか
そういうことはこの際どうでもいいとして、
「そりゃ無いよ~」
という思いでいっぱいです。
そういう雰囲気じゃないのにな。
「ハンカチ」ってところをもっとどうにか
して欲しい。
明日は友達の誕生日プレゼントを
買いに行きます。
大学4年生の彼女、
プレゼントするなら社会人になってから
使えるものをと思うのですが・・・・
OLといえば?
何?
せいぜい6000円から9000円くらいの
予算になると思います。
OLといえば?
何?
OLといったらこの
ブランドとか、
OL必須グッズとかよく分からない。
アフタヌーンティーは
こどもっぽすぎる?
とりあえず
私的OLショッピングスポットは
OICITY。
そこに行けば何か分かるんじゃないかと
勝手に思ってます。
さあ明日が楽しみだ。
やっぱり好きです。
grapevine!!
大好き!
最高じゃん。
テレビとか出なくてもいいけど
ランキングとか上位に入ってほしい!
もっと普通に生活してて
聞こえる機会が増えて欲しい。
CD聞けばいいんだけどさ。
曲にしろ歌詞にしろ
その世界観がすき。
なにあれ。
すきだからカラオケで歌おうとするけど
自分の声でうたうと
バインの良さが台無しということに
気づいて途中で歌いたくなくなる。
田中さんのボーカルじゃなきゃ
だめなのよ。
自分の声じゃ最高にミスマッチで
聞いてられない。
やっぱ
バンドは
「~じゃなきゃダメ」
って言われてナンボよ。
そういう
価値がないと。
オンリーワン的な。
そういうのをグレープバインには
強烈に感じるから好き。
どのバンドにも個性はあるのかも知れないけど
それが
強烈に伝わってこないと
やだな。
そういう意味で
ミスチルは個性ある。
クリスタルケイには
なんとなく無いと思う。
ポルノグラフティは
素質があると思う。
ホントのところは知らない。
超個人的見解だから。
どうせグレープバインが最高だと
思うのもあたしの感性に
ガッツリはまるってだけで、
どうせみんなが共感するわけじゃ
ないってのは分かってるさ。
みんな共感してれば
今すでにバインはブレイクしてるだろうしね。
そういう理屈も分かってるけど、
それでも
バインが好きだと
叫びたい!!!(笑)
バインは最高だと
叫びたい!!(笑)
わーーーーーーー!!!!
詞も曲も大好きだーーーー!!!!
好き過ぎて
バインの曲で白飯
食べれそう。
自分の中の「実家の役割」が変わるのは
自然なことなんだろう。
実家の居心地がいいとしても、
東京の自分の部屋に帰って来た時に
すごく落ちついたっていうのは
その変化の一つだと思った。
なんていうか、
東京の部屋があたしの帰りを待ってた
っていうか、
とにかく、部屋に帰ってきたときに、
ここはあたしの空間だって
感じさせる何かがあった。
大人になるにつれて
いろんなことが区別できるようになっていって、
その区別を飲みこみながら
「自分」ができていくのかな
と思う。
そうやって、
「自分」が他の誰とも違う人間だってことを
自分がこれから進むのは誰も立ち入っていない
更地だってことを
つくづく感じた。
シュウカツを前に、
こういうこと、自分の人生観を
まとめておいたほうがいい。
それにしても、
最近よく思うのは、
どうしたら毎日楽しく過ごせるのかと
いうこと。
どういう考え方をすれば
毎日楽しく過ごせるのでしょう。
もとい、
充実したと感じられるでしょう。
こういった考えは
今日聞いて明日コロっと変わるものでは
ないと思うけど、
せめて
衝撃を受けるような
考え方に出会いたい。
多分、
分かっているけど
わからないふり。
多分、シュウカツが終わったら
考え方は変わるはず。
だからそれまでのところ、
毎日あした起きるのが
楽しみで仕方ないという
生活を送りたいの。
「あした起きるのが楽しみでしかたない」
言ってみたーい。
本気で考えてみよう。
まずは、
明日を想像してみるのが第一歩かしら。
人生楽しみたいわ。