29日の朝五時くらいに、葬儀場に到着して
家族控室という、ホテルみたいなベット、お風呂、簡易キッチンがついた
綺麗な部屋に通されて、

父は布団に寝かされて。

私と兄は、ソファに座って、まだ呆然としていましたが
すぐに葬儀の仮打ち合わせ。

どんな葬儀を行うのか。
お飾り、お花、祭壇を選び、
どのくらいの人が来るのか。
料金について。

もう、兄も私も、徹夜状態だし、ショック状態だし
もうろうとした頭の状態で決めていきました。

喪主は兄にして、でも実質私がほとんど決めて。(兄にはその都度ちゃんと言って、OKは取った)

29日の夜がお通夜なのかな、と思ったら、
葬儀場の方が

「今日お通夜も出来ますが、できれば明日お通夜、明後日葬儀になさいませんか?」
「今日は一日、ゆっくりと休んで、お父様とも一緒にゆっくりとしてからの方が良いですよ」

と言われ、まぁ、葬儀屋さんも、準備をするにも一日開けたほうが余裕をもって出来るからかもしれないけど、私たちも、この、徹夜の状態で色々やるのは、確かに無理がある、、と。

兄と即決で1日置いて、30日通夜、1日葬儀を行う事にしました。

もう、父の体からは父を感じない、入れ物、という感じですっかり冷たい状態だけど、
それでも一人寝かせておくことは忍びなくて、8時くらいまで兄と私が一緒にいました。

私が一旦家に帰り、2時間ほど仮眠をとって(兄は部屋についているベットで)とりあえず母に必要なお金を下ろしてきてもらい、私は喪服や、父に着せたいスーツを用意して、お店に行き、おむつを付けた状態の父に着せる下着(パンツやシャツ、靴下、ワイシャツ)などを買って、14時くらいに葬儀場に戻りました。

17時前くらいに納棺師の方が来て、父にスーツを着せてくれて、化粧も薄くしてくださって、なんと、半目と開いたままの口を、口の中に綿を入れたり、シューっと何か音がしてたけど(のり的なもの?)、、、、怖くて観なかったけど、とにかく、終わってみた父の顔は、なぜか祖母に似ていました。

ちょっと綺麗に整え過ぎじゃないかなと。。。。思うほどに。。

それから何度も、「おばあちゃん似てるねぇ・・・」という言葉を口にしましたね。

そうか、、お父さん、おじいちゃんに似てると思ってたけど、おばあちゃん似だったんだなぁ。。。

皺も伸ばされてたから、余計にね・・・そうかぁ・・・。

19時過ぎたて、兄を家に帰して(兄、家でゆっくり寝ないと眠れない人なので)
29日も、30日も、私が部屋に泊まり込んで、父と二人で過ごしました。

何度も言うようですが、父の気配はすっかりなくて
一人でいるようでした。。。でも何度も顔を覗いて、話しかけましたけど。

何度も泣きましたけど。


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寝ては起き、父に話しかけ、泣いて、また寝て、起きて。
繰り返していたら朝になっていました。

30日はお昼くらいに兄が来て、お通夜は18時から。
通夜の時間前に母を迎えに行って、宮司さんにご挨拶をして、
17時55分から通夜が始まりました。

木靴を履いて、宮司さん登場。
コツ、コツ、コツ、と歩くたびに音がします。

父方の祖父の葬儀も行ってくれた宮司さんで、その後、父が納骨の相談に行ったらしく、父とも話したことがあって、10月に父の納骨堂を買ったときに、私も話をいっぱい聞いてもらった、納骨堂の宮司さんなので、すべてわかってくださっている方で、とてもやりやすかったです。

実際、納骨堂購入(実際は使用権利、ね)の話も、
最初は断られたのに、結局入ることができたし、何かの縁なんでしょうね。

母、兄、私の三人で、広い会場で、神式の葬儀なので玉串を捧ける作法を教えてもらって、
緊張しながら、30分くらいで式は終わり、今日はこれでおしまい。

私たちは司会の方の指示に合わせて、起立して礼をしたり、低頭したり、玉串を受け取って奉納したり、二礼二拍手一礼をしたり。(拍手はしのび手と言って音を出さない)。

知らない事ばかりだけれど、緊張しながらも何とか終わりました。


父の死去については
父の弟たちには知らせませんでした。
父が会いたがってたのなら言うけど、仲が悪かったしね。。。
来ても、また、財産放棄しろとか、お金のことを言い出しても嫌だし。
もう、静かに送ってあげたかったので。



控室に戻って、母と私と兄の三人で、父の棺の前で
お寿司を食べました。葬儀場が頼むお寿司で、あまりおいしくなかったな。
結構残しました。

私は家族の前ではあまり泣かないし、兄も泣かないし、母は元夫の事で
色々心にあるし、でも私たちが頑張ってるから、流れで付き合ってくれてるし。
不思議な感じでご飯を食べて、終わったら兄が20時くらいに明日の葬儀の時に着る
ワイシャツを買いに行くというので、買いに行かせて、そこから一時間くらい母と二人。

母は、父の棺の顔は、あまり見ませんでした。
本当は、通夜や葬儀も出るつもりないって言ってたくらいなので。

しばらくしたら、兄が戻ってきたので、母と兄は帰宅。

私は父と二人でまた一晩過ごしました。
父にはずっと「アサヒ スーパードライ」をお供え。

夜、私も父の前で、乾杯して、一緒に飲みました。小さなコップ半分だけ。
四年ちょっとぶりのお酒。
父と初めて飲むお酒。
久し振りで、ぬるかったし、あまりおいしいとは思わなかったけれど
アルコールの匂いが鼻を抜けた時に、ああ、、、終わったんだなぁと思いました。

入院中も、「退院したら、一緒に飲みに行こうね」と言ったら、それはもう
嬉しそうにしていた父。荼毘に付される前に、一緒に飲めてよかった。

朝方まで顔を覗いたり、うつらうつらしたり、お風呂に入ったり、また父の顔を覗いたりして過ごしました。