28日 いつもより早めの18時過ぎくらいにU外科病院に行ったら
父、全身けいれんしてました。

その状態で、特に慌てられることもなく、看護師さんに聞いても
「夕方くらいからなんですよ~」って言われて。

私も最初は痛いのかと思って、痛み止めできないですか?って聞いたら
「血圧が低いのでできないです」と言われ・・・。

父、痙攣がひどく、両手両足が終始大きく動いていて
その最中に時々何か言うんだけど、何を言ってるかわからない。

途切れ途切れに「もういかん(だめだ)」って言ってた気がする。
本当にきつそうだった。鬼気迫るほど。

胸水を抜きに来て、二日目の外科なので、看護師さん達がみんな慌ててない。
内科だともっと感じが親身だし、こんなに痙攣したら慌てるはずなのに。

何回も、看護師さんに「辛そうなですけど」「痛そうなんですけど」って
行っても、スルーされて・・・。

普通なら21時には私は帰るんだけど、この日は帰れなくて。

21時過ぎても全然痙攣が収まらなくて、のども詰まってきているような音がしてて。
筋肉がぎゅって収縮するたびに息を吸う時にのどの奥で「んがっ」とか「ごごごっ」って
詰まってる音がしてて、さすがに看護師さんの一人が、「吸引しないとダメじゃない?!」って言ってくれて、

そこからばたばたと、ベットの位置を移動して、吸引機で吸ったり、心拍音を測る機械をつけてくれたりして、でも全然収まらなくて、そしたらやっと宿直の男の若い医師が来て。

「いつから?」って看護師さんに聞いたり
「今日は大変な患者さんはいないって聞いてたけど?」って言ってたり。

正直、役に立たない医師の感じがすごくしてて、イラッとした。

そのあとその医師に呼ばれて

・肝硬変の人は、急にアンモニア値があがって症状が激変することがある
・今は夜だから、血液検査がすぐにできない
・使える薬があるかどうか、調べてみます


って言われて、そのあと、この病院での担当医師に電話したら、
すぐに対応できないから大きな救急病院へ搬送します、ということになり
22時半くらいに救急車で搬送されました。


23時過ぎに救急病院に到着し、父はすぐにECUに運ばれて、私と駆け付けた兄が
すぐに先生に呼ばれて。
若い女性の先生でしたけど、正直、もう手の施しようがない状態と言われました。

それでもできるだけのことはやりますと言ってくれましたが、
ほぼ、今夜中に亡くなってしまうような状態だと。

それでもできるだけのことはしてください、とお願いして、アルブミンも投与してもらえるようにお願いして、「効果があるとは思えませんが・・・・わかりました!」って
使ってもらってECUに入った父の傍にずっといました。

先生が言うには、
・腹水を抜いた量が多かったこと。(抜き過ぎ・・・?)
・体の中に水が無い、脱水症状だという事。
・血中アンモニアの値が1500という、先生も見たこともない数値だという事。
 (今までも、多くても400台だったと思います)
・痙攣する力もなくなってしまって、今は痙攣しても手も動かせてない事。
・人間は弱アルカリ性なんですが、お父さんは非常に酸性な状態です。

それでも、心拍数は140を上下していたし、とても荒い息だったのが
だんだんと静かな息になって、心拍数が120前後に落ち着いてきたし
もしかしたら大丈夫かも、と思って、駆け付けた兄と一緒に、広い、処置室のようなECUの
部屋で、父の処置台の横に座って見守っていました。

掛け布団が薄くて寒そうだったので、もう一枚かけてもらって。

血圧は取れないくらいの状態でも、心拍数はちゃんと出ていたので
機械に表示される心拍数と父の呼吸の様子だけを見ていました。

ハァ、ハァ、ハァ、としんどそうな激しい呼吸が、だんだんと静かなものに変わってきて
心拍数が100前後になってきて、

あ、落ち着いてきたかな、と思ってホッとしたら

心拍数が一瞬44になって、え?と思ったらまた100に戻って、
そしたら、それから徐々に、98、86、72、、、、、、43、28、16、7、4、0・・・・・

テレビではよく見ていた、心拍数の機会が0を示して、上下に出ていた横線が、
一本の横線に変わりました。

看護師さんがすぐにきて、先生を呼びに行ってくれて。

意外と先生が来るのに五分くらいかかっていて、
それまで、ゼロになった心拍数と父を、じっと見てました。
頭を撫でても、何の反応もなくて。

先生が来てくれたらすぐに、ペンライトで瞳孔を確認してくれて。

「4月29日午前1時57分 お亡くなりになりました」

と小さな声で言われました。

ああ、やっぱり、亡くなったんだ。

そう思いました。父から父の気配が全くなくなって、触ったらまだ暖かかったけど
どんどん冷えていくのがわかりました。

涙がボロボロでてきて、静かに父を撫でてました。

治る病気じゃないし、いつもいつも、「覚悟はしておいて下さい」と
言われていたので、父にすがって「お父さん!!!」なんて言うこともありませんでした。

(ああ、、、死んじゃったなぁ。。。とうとう死んじゃったんだなぁ
嘘みたいだなぁ、、、昨日はすごく手を振ってくれて、笑って見送ってくれたのになぁ。)

父を撫でながら「よく頑張ったよね。。。」というしかなかった。

十分くらいそのまま呆然と父を撫でていたら、看護師さんが来て
「お体を綺麗にしますね。病院にある白い着物でいいですか?」と言われました。

「お願いします」と言って、私と兄は、ECUの待合室へ移動。
真っ暗な部屋の電気を兄がパチッとつけて、兄は座って。
私は座れなくて、ウロウロしながら
「仕方ないよね。」「もうボロボロやったけんね」と何度も言いました。

10分くらいしたら、また看護師さんが来られて、葬儀屋さんを考えたり
してましたか?というので、いいえ、と答えると、調べてみますね、と調べてくれたんだけれど、家から離れている病院だったので、兄と二人で、家の近くの葬儀屋さんを調べて
電話して、迎えに来てもらう事にしました。

2時間で行きます、と言われて、その間、父が安置所に移動したので
私たちも移動して、顔に薄いシルクのような、薄青いハンカチくらいの大きさの布を掛けられた父の横で、二人で、じっと座ってお迎えを待っていました。

時々、布を取っては、半目の、歯の無い口がパカーっと開いた、ピクリとも動かない顔を
見たり、頭をなでたり、まだ暖かさの残る手を握ってみたり。

ECUの部屋で、父の心拍数が0になってから五分くらいで、父の気配が薄くなって
安置室の寝かされた父の足元あたりに父が立っているような気配があったので、そのあたりに並んで立ってみたり。

それもだんだん消えてしまって、もう、父が入っていた体がそこにある、という感じになりました。二時間後の4時前くらいに、葬儀屋さんのお迎えが来て、家の近くの葬儀場へ運んでもらいました。