ぎんちゃんの手紙 -4ページ目

ぎんちゃんの手紙

ぎんちゃん
 ウェルッシュ・コーギー・ペンブローク・男の子 トライカラー(白・黒・淡茶) 永遠の14歳
 新”ぎんちゃん  ラグドール・男の子2008年8月生まれ
いまは ぎんまる(ヒトのオス)が好きに書いてます

ももクロのミュージカル『ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?』

れにちゃんが神回と言っていた10月7日昼公演を見てきました。

10月8日の公演で終わり、千穐楽を待って、迷惑のならない邪魔にならないと思いますので書くことにします。

最初に簡単な感想を書けばまあまあ、及第点のまあまあ

合格点のまあまあではありません。

食い足りない。

分かりづらい表現ですがwww

 

ももクロの4人がミュージカルに挑戦といっても、ミュージカルは一朝一夕に出来るようにならないですし、ももクロの4人は毎日忙しいので、過度に期待出来ないと覚悟をして観に行きました。

更に成長してもらって、次回に期待という感じでしょう。

救いだったのはシルヴィア・グラブさん、妃海風さん他、同じステージに立ってくださった男性・女性のキャストが、歌もダンスも上手かったので、ミュージカルとして及第点に届いたと思います。

 

不満のなのは、劇台本と演出です。

ステージの簡単な説明をすれば、舞台後方に立体的な足組と階段が左右にある。中央にせり上がりと床がクルクル回るステージ。

大道具、小道具の類のセット、書き割りも一切ない。空舞台

かなり演劇玄人向けのステージです。

衣装はそのシーンそのシーンごとに換わりますが、

うーん…衣装でシーンの背景を想像できたか、といえば難しかったと思います。

 

4人が車に牽かれて事故死するシーンが分かりずらかったです。

4人で楽しくダンスをしていたと思ったら、突然の暗転。

暗転の前のシーンは、車道? 横断歩道上?

ぶつかる音、ガシャンとガラスを割れる音、暗闇の中でニュースを読み上げる声、ヘリコプターの音。

死んだことなってる゙……。車の事故? ビルの高層階からガラスが降ってきた? ヘリコプターが落ちてきた? 分かりづらいです。

舞台中央に立っていたモノリスは格好良かったです。

『PARCO Presents』と文字が浮かび上がったのはカッコイイ(笑)

 

次に、ステージに照明が点いたらカナコがあの世を彷徨っているシーンになります。これも分かりづらい。まあ「死んだ」とニューズで言っていたのだがら次に連想するのはあの世か天国だろうけども。せめて4人で肩を抱き合う形で三途の川を渡るシーンを入れませんか。

カナコの台詞じゃないけど、夢の中? と見えてしまいます。

 

カナコが「転生の鍵」を手に入れて、番人の元から逃げて、シオリ、アヤカ、レニの元に向かう訳だけど。

シオリの登場がいきなりのウェディングドレス姿。

自分の意思で結婚を決めたなら20歳以上と思われる登場の仕方。カナコが17歳か18歳、シオリが最低でも20歳以上。もし30歳目前の29歳なら、カナコのシオリは10歳以上の年齢差。拐かされるかな。

社会人経験約10年から4年制大学卒業で7年あるはず。

「一緒のダンスしようよ。私たちは前世で一緒のダンスチームだったんだよ」と見ず知らず女子高生に言われて。

まあ、高校3年生で親の決めた男性と結婚するという設定らしいけど。

ありえねぇー。今時ありえねぇー。

なぜ政略結婚と思うかというと、途中一回でも結婚相手の男性の顔を思いことも、姿を思い出すことも、どうしているかしらと涙することも無かったです。マリッジブルーだからと悩むことはあっても、愛情が無い、相手を想うことがないとすれば、政略結婚しか思い浮かばない。

私の頭では。

 

次に高校演劇部のアヤカの元にカナコは現れます。

この高校演劇部が最低。部員が最低です。

二年生の新部長のアヤカの元に活動しているのが、7,8人の一年生部員。三年生は先の演劇コンクール全国大会を最後に全員卒業している。二年生部員は劇の初めからアヤカ以外いない。多分来年の大学受験に向けて現役合格を考えて予備校に通い始めて、部長のアヤカ以外は幽霊部員の模様。

残る一年生部員は「先輩たち頑張ったけど、大会で何の賞も貰えなかったじゃないですか。あんなに頑張っても無駄だったじゃないですか。週二回くらいの練習(部活動)で好いんじゃないです。それと真面目に汗しながら演らなくても好いんじゃないですか」と全員でいう始末。やる気ゼロ。アヤカが卒業したら演劇部廃部するんじゃない?

それとアヤカの進路希望が、文学座に俳優座だったかな? 平田オリザさんの青年団だったか。

今どきじゃない劇団を受験すると、進路希望を学校の先生に書いて提出した設定だったです。

劇団☆新感線とか宝塚歌劇団とかのほうが今どきで、妃海風さんとの絡みで、「宝塚を高校卒業してから受験では遅くない?」「貴女の歌とダンスで、宝塚に受かると思ってるの?」と意地悪い会話があっても面白かったんじゃない? 「宝塚を記念受験されても困るのよねぇ。まったく、毎年、記念受験も多いって聞いてるわよ」とかもあったりwww

 

次にレニの元にカナコが現れます。

多分、老人医療を専門的に引き受けている病院か、終末医療を担っているホスピスだろうと思います。

ここでもレニ以外の看護師のほとんどがやる気ゼロに見える。

「週末にホットヨガに通う予定があるので、シフト代わってもらえますか?」とか

「○○のお婆ちゃんと相性が悪いんで、担当代わってもらえますか?」

とか

「最近、お休み貰ってないんで、旅行行きたいから週末に(纏まった)お休み頂いてイイですか?」などの、自分勝手な同僚のしわ寄せを受けて、全部自分で引き受けるレニと、レニ以外の看護師たち。

沖田×華さんという漫画家が描いた『お別れホスピス』くらい参考にしようよ。ノンフィクションでホスピスを書いた本も沢山あるし。

シーンの描き方としてちょっと酷いとおもいます。

自分勝手な看護師たちに好いように利用されるレニ。もしくは真面目が長所だけど、今どきの調子の良い子たちに馬鹿にされ好いように利用されるレニ、というのを描きたいんでしょうね、たぶん。

でも、ここでのホスピスの描き方が軽薄だったので、第二部でのクライマックスのレニの葛藤もイマイチになったんじゃないかな。詳しくは第二部の感想の時に書きます。

 

最後はカナコの人物設定にも不満があります。

まさにカナコは、劇の中の潜在的な意味で「天使」のような存在です。

百田夏菜子は「天使のようだ!」とする比喩もあるでしょうけど(笑)

カナコがシオリ、アヤカ、レニの元に行って「ドゥユ、ドゥユ、ドゥ・ユワナ…」と歌い出せば、3人とも不思議に踊り出すなんて堕天使の所業としか思えない。もしくはメリー・ポピンズ?

それになぜ、カナコがそこまでダンスに拘るのかが分からない。

家に帰りたくないのはなぜ? 父や母や兄弟たちに会いたいと思わないのはなぜ? 家も家族もいない子なの?

ダンス以外の未練はないの? ダンスを踊る以外の夢や希望はないの? 

クライマックスまで、最後まで明らかにされません。

一人、過去も未来の希望も最後まで分からない登場人物です。

主役なのにね。

 

第一部のクライマックス。

四人がカナコが持っている「転生の鍵」で、アイドルグループ『HEAVEN』に成るオーディションの場面へのジャンプした瞬間にも不満があります。

アイドル”歌手”グループに、なぜ転生するのを選んだの?

4人のダンス部の仲間がしていたダンスは、いま流行の「チア☆ダン」か、大阪府立登美丘高校ダンス部、同志社香里高校ダンス部のようなダンスか、ヒップホップの全国大会コンテストを目指している設定ではないの?

歌って踊る、高校ダンス部の全国大会って何?

 

それで思うのだけれど、アヤカにミュージカル要素のある劇団の進路希望を持たせることによって、アヤカの「圧」とカナコの強い”希望”、レニが全ての人を笑顔にしたいという心が合わさって、折衷案として「アイドルグループ」に転生したという風にしたら良かったじゃないの?

 

第二部に続く不満ですが、まだ第一部のうちなので書きます。

転生した先はアイドルグループのオーディションではなく、

強力なライバルグループと同じステージに立たされた処から始めたほうが良かったんじゃないかな。

AKB48のようなグループが『ヘビーローテーション』もしくは『恋するフォーチュンクッキー』を目の前で歌っているとか、モーニング娘。のようなグループが『LOVEマシーン』もしくは『恋愛レボリューション21』を目の前で歌っているとか。そのアイドルグループが歌う終わると、観客が後ろに下がって行く、もしくはトイレ休憩、軽食タイムを取りに客席には誰も居なくなってしまった。レニあたりがセリフで観客が引き波のように引いていったと言ったあと、マネジャーの坂上(妃海さん)に押し出され、ドキドキのままステージに立たされた。一曲目の『走れ!』で徐々にか、一気に観客の心を掴んだといった感じにラストをもってきて、第一部終了。休憩という感じが良かったと思います。

 

なぜなら第二部から始まる『HEAVEN』の物語で、肝心のHEAVENに好感が持てなかったです。

HEAVENの歴史が早足だったこともあって、上手くいきすぎているのもあり、ももクロとダブらないです。デジャブ感は沢山ありますけど。

もし現在、現実に存在したアイドルグループがももクロではなくHEAVENだったら、私は七年前から彼女たちを応援していなかったでしょう。スルーしてます。見てて応援の甲斐がない、つまらない。

「俺らが支えるHEAVEN(かなこ)」の思いにならないからです。

 

つづく

『ミライボウル』ツアーからは計画的にLIVEに行くようになり。

と言っても柏の葉には行ってないので、生で早見あかりさんの卒業報告を聞いていません。

立川のフロム中武屋上での「国立川」も仕事の都合で参加出来ませんでした。

「神聖かまってちゃん」との対バンはUstreamで見ました。7曲連続でパフォーマンスする姿はある意味感動しました。2曲目3曲目辺りからボロボロに疲れ始めるの見て、「ももクロはアイドルを目指しているのではなくて、沖縄アクターズスクール的な、EXILE生的なパフォーマンスグループを目指しているのか? 逆に、EXILE生のような上手くない子ではなく、下手な子たちがボロボロに成るまで歌い踊りまくる姿を見せる的なぁ、新しいアイドル?」とも思いました。

わたしは『極楽門からこんにちは』のDVDがももクロ(無印)のBESTだと思いますが、早見あかりさん在籍時のももクロ(無印)からのBESTライブを上げるなら、この時の『かまってちゃん」との対バンのパフォーマンスがBESTだと思います。少々時間は経っていますが、この時のライブをDVD化して欲しいと今でも思います(^_^)

2011年は3月11日東日本大震災があり、『ミライボウル』ツアーのほとんどが白紙に成ってしまいました。たぶん4月10日まで年表に書かれてあるとおり、片手の指くらいしかイベントをやっていなかったと思います。石丸電気といえば、確か閉館前の石丸電気メデョア館で臨時震災募金握手会(写真物販?)を遣ったと思います。わたしはしおりんと握手した記憶があります。あとれにちゃんと手を振ったかハイタッチした記憶が、杏果ちゃんは募金をレジに入れていたと思います。あーりんと夏菜子ちゃんは休憩してたのかな? 「ありがとうございます」って頭を下げてお礼を言ってたのかな?

 

中野サンプラザでの『眩しさの中に君がいた』ライブです。

一部、二部共にチケット応募をしたのですが、一部のみ当選。

いわゆる「登場からマスクを被ってピンキー・ジョーンズ」「ソロ曲発表」「デコまゆ」の回です。これもね、ももクロZのライブのセットリストの構成の雛形になった会と考えれば、今になって貴重なライブだったと思います。しかし当時は、早見あかり卒業のコンサートの日なのに、こんな感じに一部、二部をやって終わって良いのかな?と思ってコンサート会場に居ました。(二部での模様は後でツイッターで知りましました。たぶん「やっぱり二部に行きたかったー!」と思ったモノノフは当時から沢山居たでしょう。わたしも一部、二部共に出たかったです)

中野の一部は、アイドルコンサートのショーという意味では面白かったです。しかしアレを続けていたら、ここまでのももクロの成長は無かったように今は思います。それくらい当時のアイドルコンサートから脱線したショーでした。

中野のあとに鶯谷での『試練の七番勝負』があって、その当日見せた3曲のパフォーマンスに『未来へススメ』のころからの必死さが見えたし、「壊れるなら壊れるまで(グループ解散)、見守ろう」という気持ちにさせてくれる“やってやろうじゃないか!”感がありました。

「やってやろうじゃないか!」的な必死さが、よみうりランドでの『極楽門からこんにちは』まで続き、また中野の一部で表現したショーの感じと上手く混ざり合って、現在の(杏果ちゃん卒業までの)ももクロZの形を作ったと思います。

 

ファンタスティックツアーも計画的に参加しました。この頃には日々の地震もほぼ収まり、安心してZeppなどのライブハウスで見られるなりました。最終日の「一日三回まわし」は、やはり三部のうち最初の回の、一部が当たったんじゃないかな? まだ全然元気な5人のパフォーマンスを見たと思います。

この頃から徐々にですが、ぶん回すような、感情に任せて動き回るようなパフォーマンスから計算して体力を残すようなパフォーマンスをし始めたと思います。例えれば大谷翔平選手がピッチャーとして投げるときに、以前は5回まで投げれればイイやとしてたのを、現在は7回8回まで投げる為の頭脳的なピッチングに切り換えている姿に似ています。

 

よみうりランドでの『極楽門からこんにちは』ライブです。

6人から5人になってしまいましたが、

メジャーデビューしたももクロ(無印)のBESTがこの日のコンサートだったと思います。いまDVDで振り返っても楽しいです(^_^) 

ちなみにももクロZ(第一章)のBESTは国立競技場での二日間のコンサートだと思います。私は両日落ちましたwww

伝説になった20分の寸劇(ヒーローショーの茶番)から、(ももクロのことが好きな人間に向けた)モノノフの懐の深さを当てにした緩い立ち上がり。徐々にテンションを上げてゆき、『ミライボウル』あたりからパフォーマンスのアクセルも全開、「魔法の水」で水分補給しながらどんどん会場のモノノフと共に興奮状態になりました。

『ココ☆ナツ』の水鉄砲。「夏」を日没前から日没後も一緒に過ごしている高揚感。アンコール後の『走れ!』、『コノウタ』、『ツヨクツヨク』で再びの水鉄砲、放水銃。ももクロちゃんも会場のモノノフも、楽しい楽しいでライブが終わりました。それが、川上氏佐々木氏の予定になかったダブルアンコールに繋がったんだと思います。

 

次回にまわさず、このブログで有安杏果さんのことについて書きます。

『ピンキー・ジョーンズ』からの本格観戦のわたしでも、杏果さんが他の5人から“心”の距離があることは察せられました。それに、ダンスと歌の強化のため「ももクロ」に藤下理事長と川上氏が入れたことも情報として知っていました。

プロ野球の球団に元大リーガーの選手が助っ人に入るような感覚で、ももクロの他の5人と杏果さんは居るんだろうなーと見てました。やっぱり距離は、2012年6月30日の「米子の夜」まであったと思います。

じゃあ、その後は4人(早見あかりさんが卒業後)との距離が無くなったかといえば、たぶん無くならず。少し…だいぶ縮まったという感じでしょう。

杏果さんは自分から積極的に4人とベタベタする感じはなく、“見られる”仕事として、仲が悪く見えないように気をつけながら「ももクロ」をやっていたように見えました。

それは、杏果さんが何度もインタビューで答えていたように、

「ベタベタしたことが出来ない性格」

「オンとオフを切り替えて、ストレスを多く抱えないように活動したい性格」

「小さい頃から計画的に物事を進め、人に左右されたくない性格」という性格の部分だろうと見ていました。

 

東京ドームでのTHE DIAMOND FOURの4人を見て感じたのですが、

杏果さんがももクロにもたらしてくれたダンスや歌の効果は、

十分にあったと思います。

 

ここまで書くのはアレですが、杏果さんの中で「ももクロの杏果」という役割は終わり、杏果さんの「人生設計」の中のももクロの存在はここまでで十分と思ったから卒業したんじゃないかな。

意地悪なことを書けば、杏果さん1年、2年したら帰ってくるんじゃないかと思います。子供の頃から歌を勉強して、EXILEのスクールに通いダンスを勉強して、ももクロでドラムとギター、ベース、作詞、作曲の勉強をしたのですから、自分一人でソロアーティストとして活躍する準備は出来たと思っているはずです。ももクロと平行して活動するのではなく、アイドルの仕事に時間を取られることなく、自由に音楽活動をしたいとももクロを卒業したんじゃないかな。

子どもの頃からの「人生設計」通りに行動してるとしても、わたしは驚きません。

 

最後に意地悪なことを書きました<(_ _)>

『山田玲司のヤングサンデー』の今週分の会員放送を見たら、

アニメとアイドルに詳しい39歳のフリーの作家「ねりな」さんと言う方が出ていて、2000年前後のアイドル界隈の話しをしてました。

AKB48=秋元康氏が与えたアイドル界隈、アイドルファンへの功績、

ももいろクローバーのアイドル界隈への功績、

BiSが与えたメジャー・アイドル界隈、“地下”系アイドル界隈への功績

でんぱ組.incのアイドル界隈への功績

「俺のと違うな~ぁ」という部分がありましたが、意見が分かれるのは当然でしょう。

 

BiSとでんぱ組.incを書いてなかったので、一応書きます(^_^)

BiSの登場は衝撃的でした。アイドルヲタを自認するなら“生”でBiSを見て、その存在を認めないと半端者だ、くらいの圧がBiSの運営にもBiSのファンにもありました。

初期・中期に、メンバー全員全裸のPVを作ったり、ライブハウスに作ったステージセットや立てたスピーカーを蹴飛ばしたり、投げたりする姿がネットでLIVE映像として流れたりしました。

ももクロがロックっぽいモノ、BABYMETALがヘビーメタルのようなモノを取り込みたいとしているのだから、

BiSはパンクロック的なアプローチを計算して取り込もうとしているんだろうなー、とわたしはみていました。

プロデューサーの渡辺氏、松隈氏がたぶん「アナーキー」や「ザ・スターリン」などが好きなパンクロック少年だったんだろうなー、と。

わたしは、何て言うか『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市』などの出演時間などで“抗争”?していた当時のパンクがちょっと苦手だったので、Hi-STANDARDやルースターズ、ラフィンノーズ、ブルーハーツの方が好きだったので、別の方向のパンクバンド的な表現は最初から勘弁して欲しくてBiSにはまったく触れませんでした。

 

でんぱ組.incは、最初「ももクロっぽい」と見てました。

ねりなさんを含め、他のアイドルヲタに方が当時をどう感じていたか詳しく分かりませんが、当時のメジャーアイドルグループ、“地下”系アイドルはハロプロとAkB48の活動が基準だったり、フォーマットが基準でした。楽曲もつんく♂氏がプロデュースする曲、秋元康氏がプロデュースする曲、両氏の楽曲がアイドルの憧れでもあったと思います。

ゲーム音楽ぽい、転調の多い楽曲、赤、青、黄色…などの担当カラーの衣装を着た6人組がパフォーマンスする姿は少なかったように思います。(増えつつはありましたけどw)

ディアステージのアイドルさんは他にも数組あったので、ももクロっぽいグループを1つ作ったのかなという印象でした。(特別ももクロを意識した活動も、マネをした活動もしてませんでしたけど。わたしの印象です)

ももクロとの違いは腐男塾のメンバーのように何かしらの“ガチ”オタクであることをアピールしていたことでしょう。

あと、わたしのイメージですが「ぱすぽ☆」とファン同士が比べていた印象があります。ももクロとは絡まなかったので「対バン」という雰囲気で比べられることもなかったので。これはももクロにとっても、でんぱ組.incにとっても良かったことだろうとおもいます。

現在のでんぱ組.incも、相変わらず独自路線を行っている印象です。

もうももクロっぽいとか、“地下”系アイドルで一番成功したグループの感じとかではなく、誰のマネもしていない、誰もマネできない、マネして成功したいと言われる訳でもない、「でんぱ組.inc」という存在のような気がします。

『CHAOS』『COSMOS』に載っている、ももクロの年表を頼りに思い出して、わたしがももくろの応援を始めた頃を書きます(^_^)

 

以前も書いたように『未来へススメ』辺りでは、ももいろクローバーのことを意識し始めています。

しかしスタダの3BJrイベントを見に行くまではしていません。

明治記念館で『行くぜ!怪盗少女』のリリースイベントをいろいろな媒体で見て知っていました。たぶんこの頃にはUstreamでももクロを見ていた気がします。

『ピンキー・ジョーンズ』の衣装を見て、そして歌を聴いて、

ももクロは『週刊少年ジャンプ』の世界を体現しようとしてるのかな、

面白いなー、と感じ。『行くぜ!怪盗少女』まで続けていた「和」のコンセプトを止めたことに売れる予感が増し、

「本気に成るなら、わたしも応援しましょう」という気持ちが固まりました。

それまではももいろクローバーを疑っていました。もちろん「和」をコンセプトも本気度を疑っていた理由です。

その他にも、メンバーがかなり早い間隔で入れ替わっていて、

事務所がスターダスト・プロモーションということもあり、アイドルにありがちなのですが、テレビドラマや映画、CMで演技する機会があると、

「わたしは(映画・テレビの)撮影の場の雰囲気が好きになりました。

歌よりもダンスよりも演技することに全力集中したいと考えるようになりました。何となく入ったアイドルの世界ですが、今、心から演技がしたい、役者の勉強がしたいと思います」などと言ってグループから卒業してしまう子が多く居ました。卒業するアイドルの例が多いので、スターダストも本気でアイドルグループの活動を(仕事として)続けてゆくつもりはないかもしれないなー、考えてもいました。

直前に「なないろファンタジー」が自然消滅したように、気付けば「ももいろクローバー」は解散していて、メンバーはバラバラに役者やモデル、バラエティータレントの仕事をしているという可能性もあると思っていました。

アイドル活をしていて、一番と言わず、二番、三番以内に悲しいのは、

気持ちを入れて応援していたアイドルが卒業、アイドルグループが解散することです。自然消滅も、HPにペラッと「お知らせ」という形でファンに知らされるグループ解散も悲しいです。

だから、なるべく続けてくれそうなアイドルグループを自然と探してしまいます。

○「アイドルを卒業する自由」は女の子にあります。

○「アイドルの応援を止める自由」はファンにあります。

しかし、1年2年3年で止める。武道館のステージに立てたら解散する、さいたまスーパーアリーナで5万にコンサートを開いたら思い残すことはない、などというアイドルグループは、いつ辞められるか怖くて本気で応援できませんwww

 

ももクロが本気だ思ったのは『ピンキー・ジョーンズ』からです。

2010年11月16日の池袋サンシャインシティでの「アイドル戦国時代統一宣言」を聞いて思った訳じゃないんですよw

 

何て言うか…NHKの『MJ』の出演にしろ、品川での『TOKYO IDOL FESTIVAL 2010』にしろ、渋谷公会堂での『アイドルユニットサマーフェスティバル2010』にしろ、ももクロの全力パフォーマンスを目にして、途中で活動を止めるなんていわないかもしれないと感じたんです。

メンバーは今後も増えたり減ったりするかもしれないとは予想しつつ。

 

初めてももクロを生で見たのは何時だったか…はっきりと覚えてないです。

たぶん、『ピンキー・ジョーンズ』の頃だったと思います。アイドル合同イベントで3回くらい生で見ているはずなんです。年表にも詳しい「合同イベント」の書き出しもないし、その当時のチケットもまとめて紙袋に取ってあったはずなのに紙袋ごと紛失してイベントの名前が分からないので、何時いつと書くのを控えます。

『ピンキー』の衣装で踊るももクロを見た記憶があるんです…だから『ピンキー・ジョーンズ』のリリースツアーの頃とします(^_^)

 

あと一回くらい、私が“生”で出会った頃のももクロの“印象”を、中野のコンサートとか極楽門のコンサートとかを絡めて書きたいと思います。

 

※前回の成瀬理沙さんを応援し始めた切っ掛けの補足。

AKB48を応援するようになって、藤江れいなさんを最初は注目しました。で、藤江れいなさんも第4期メンバーなんですが、その藤江れいなさんよりも将来を期待されていたのが成瀬理沙さんらしいと知り、成瀬理沙さんって「どういう子だったのかなー」という興味から「なないろファンタジー」を見るようになりました。成瀬理沙さんはルックスも良かったのでw あとは前回の通りです。

ももクロの存在は意識しつつ、

Ustreamに上がるライブ映像や「かなこのぺや」など、や

YouTube、ニコニコ動画にアップされる動画をチェックして見てました、がwww

 

この当時、わたしはAKB48を武道館で見た影響で、

AKB48を応援していました。

ごく最初はチームAの小嶋陽菜さんを応援しようと決めてました。

ルックスが良かったのと、「にゃんにゃん」とあだ名されメンバーからいじられている感じが好感が持てて、本人の雰囲気も面白いと思ったからです。

もう1人保険をを賭けるように、チームAからチームKに異動した藤江れいなさんも応援しようと考えていました。れいにゃんはルックスが良かったのと、適当にメンバーから距離をとった感じと、微妙なやる気wが面白いと感じたからです。

一ヶ月くらいして、二人からチームKの大島優子さん推しに「推し変」する訳です。一ヶ月にゃんにゃんとれいにゃんを追っていて、二人は私が思っていたような面白いキャラではないと分かって。逆に、周りのメンバーが気を遣うような、その時の気分や気持ちがメンバーに上手く伝わらない性格だと分かりました。そのメンバーに対しての適当な距離間が、私には最初面白く感じられたのですが、テレビのバラエティー番組でも本人が見せる「上手く伝わらないなー」感がだんだん、私には面白く感じられなくなってしまいました。

喜怒哀楽を素直に顔や身体表現に出して見せる優子のほうに、面白さを感じていきました。

という訳で、優子がAKB48を卒業するまでわたしは大島優子推しになりました。

 

AKB48との出会いが約2009年8月、ももクロを応援を始めるの約2010年の11月頃になります。

 

優子よりももクロに応援する温度を上げていったのは、東日本大震災後からだと思います。

 

AKB48が被災地を回ってチャリティーする姿をNHKが定期的に放送してたのを見ていました。他にもアイドルグループや芸能人、有名人の方々も無償で現地ボランティアをしているのに、AKBだけ“特別”にNHKに取り上げられチャリティー活動を称えられるを感じ、偽善とまでは思いませんが、秋元氏がNHKと結託して上手くAKBを宣伝しているなー、宣伝が成功してほくそ笑んでいるだろうなーと思ってました。

 

やっぱりAKB48を心から応援できない(優子は面白いし可愛いけど(笑)と思って、たまたま見たUstreamでももクロの夏菜子ちゃんから、

「DDでもイイの、この手離さないで」と訴えられ、キューンとしてしまいw

「ももクロ、面白いなー」と本格的に思いました。

AKB48の外グループに対しても内側(メンバー間)でも推しを競うような感じと反対の、「DD(誰でも大好き)大歓迎」という感じはアイドル戦国時代とい言われていた当時、少し異質なくらい、ある意味必死さを感じました。ももいろクローバーZに成った時に発表される『Z伝説~終わりなき革命~』で「わたしたち 泣いている人に何が出来るだろう それは力いっぱい 歌って踊ること」という感じにも同感を思え、NHKに取り上げられなくても“何”かしている姿がAKBより少しだけ好感が持てて、より一層ももクロに応援する気持ちに傾きました。

 

「なないろファンタジー」と「(黎明期)私立恵比寿中学」を応援する気持ちはどうなったかと問われれば、

エビ中から説明を書けば、あたしはエビ中では宇野愛海さんを中心に応援するつもりでした。が、「なる」は私が応援を始める半年後くらいにエビ中から卒業(転校)して行ってしまいました。次は、初期からのメンバーの中から探せば宮崎れいなさんかなーと思ったのですが、

わたしはグループを応援するとき、グループの中から推しを決めるときには「グループのリーダー」と「グループのセンター」は推しとして応援しないと決めていますから、エビ中のリーダーだった「れいな」は残念に感じつつ断念。そして見つけたのが松野梨莉奈さんです。

 

「グループのリーダー」と「グループのセンター」を推しに選ばない理由を先に書きます。リーダーを任される子もセンターを任される子も、

基本に性格が良く、自然(黙っていても)とファンから愛されるからです。

リーダーは運営側の人間が認める「良い子」でなければ、個性の強いメンバーを纏められず、グループ自体をバラバラ成ってしまいます。良い子過ぎると、人間関係に悩みリーダーの子が毎日泣くという話しはよく聞きます。性格の悪いリーダーでは“性格が天の邪鬼”なメンバーはもとより真面目なメンバー、素直なメンバーも離反してしまいます。現在はグループを代表して質問を受けたり、何か発信したりするのはセンターの子の役目です。もしくはリーダーが答えます。テレビに映るとして、センターの子が真面目に答えず性格が悪い感じに見えたり、やる気が無きように見えたりしたらば、それだけでグループの全員の性格も悪いように映ってしまいます。

リーダーと同じくらい、リーダーの次ぎ位に性格の良い子をセンターに持ってくるように運営側も考えて居るとおもいます。もちろん、センターはグループの「顔」ですからルックスが良くなければ成りませんし、場合によっては「歌」か「ダンス」、両方がグループで1・2に上手いこともグループの全ファンを納得させるのに必要です。

 

「りななん」を推して行こうと考えていたんですが、

ここで障害が発生

エビ中の大事な夏のイベントは「ファミえん」と言うんですが、山梨だったり新潟だったり、愛知だったりと遠方なので、わたしの仕事に支障をきたす可能性が出てきました。なので2013年ころから、心苦しくもエビ中からは離脱しました。

 

なないろファンタジーはAKB48を卒業した成瀬理沙さんが加入したことで応援を始めました。

第4期生の有望株だったなるるを、「どんな子だったのかなー」という思いから、なないろファンタジーで応援してましたが、結局、自然に消えるまで分からなかったです。

(※なないろファンタジーの活動を止めてから、AV女優として活動していることを、噂では知ってますよ。DMMで確認もしました。本人でも似た人でもどっちでも良いと思いました)

なるるは、なないろファンタジーが活動していたころはやる気があって、チャットなども遣っていたし、浅草の花やしきへの“ピクニック”、錦糸町だったかな?「ボーリング大会」にも参加していたので、

なないろファンタジーが続いていたら良かっただろうと思います。

AKB48を辞めた本当の理由は分かりませんが、他のメンバーよりも「売れたい気持ち」が少し表に現れすぎて、時にメンバーより熱く、時にメンバーを冷めた視線で見てたように感じました。

NHKの『Rの放送』に飯田麻由さんではなく“なるる”が出演できれば違ったんだろうと思いますが、まゆちんも「なないろファンタジー」に在籍して居た頃は「売れること」に積極的だったので、マネジャーの営業力かまゆちんの方がNHKさんに受け入れられる性格の良さがあったのかもしれません。そのまゆちんも去年(2017年)の3月に芸能界を卒業するとTwitterにあったので残念です。

 

エビ中、なないろファンタジーに、わたしなりの“勝手”な理由から自然に距離が出来てから「ももクロ」を応援する気持ちが大きく成ったのです。

続きは次回に書きます。ももくろの話しを書くまでに今回も行かなかったあーwww