何字で纏められるのだろうか、
いや、纏まらない。
(何か古文か漢文でこういう訳し方無かったっけ)
(反語の係り結びだとよ)
舞台というものは、これまた考察厨の血が騒ぎますな。
(可能であればその血を静めてくれ)
前記事でも書きましたが、
10/26.27の東京ラスト2公演を観劇しました!
その記事については大変申し訳ございませんでした。
文字数ハラスメントじゃんね。←
ガチ小論文やん。。。
舞台の内容をたった2回行っただけの人間が正しく表現できるわけもないのに、傲慢に文字数を使って自分の記憶を頼りに不確かなものをつらつらと。。。
ここは全然違いすぎてモヤる、とか、ここおかしいだろ! とかあれば素直に受け止めますので教えてくださいね
「あれ?このシーンあの人居たはずだけどどう言う流れでここに居合わせたのかが繋げられない!」とかが多発して、でも書きながら思い出すこともあって、ほぼ私自身のための備忘録の意味だと思ってください
「役場の人間なんて中冷房強すぎて防寒対策してるくらいですよ。」
的な秀樹のセリフが2日目は無かった。
ことにだけ気づいた(笑)
で、まぁ考察とか舞台についての私の感想をこれから話せたらと。
Xでは到底語りきれないので、私の今回の舞台に対する言葉は少々物好きな皆様…(おっと失礼)、大変心が広くてお優しい皆様だけが、この場から受け取っていただけますと幸いです。
(少なくともあなた読んでくれてんでしょ。今この瞬間にこの文章を。...っんだよそれ。…愛してる)
(Your love forever 瞳を閉じて~君を描くよ~それだけで~い~ぃいい~)
ねぇ、何文字使った?
ここまでで何文字無駄遣いした?
怒らねぇから。
言ってみそ?
※ネタバレありです。
W主演の意味が、2人の役をみてなんとなくわかったというか。2本の主軸が配達員とヘルパー、そしてその延長として他の7人がいる。
9人全員が主役でもあり、だからちゃんと全員に一度は心を置きに行ってしまうところがあって。
強い根と太い幹を主演と言われし2人が担い、その先の枝葉を7人が飾る、でも主役はその全てである1本の木、的なね。
脇役とか2番手とかそういう、それ以外の立ち位置は無いんです。見えてるものが全て主。
ちょっと何言ってるかわかんないと思うんすけどぉ...
早めの離脱をおススメします。。。
多分、確実に、遠回りの言い方を沢山して文字数を浪費してしまうと思うので。
配達員
ただ毎日荷物を運ぶ
彼にとっては夢でも希望でも中身でもないただ段ボールや封筒、小箱を運び続ける日々。仕事だから。
『そこら中室外機だらけ。みんな自分のことしか考えてないから!』
『仕事場の住所教えてもらえます?返しにいけるから。いや流石に自宅は嫌ですよね?』
『休憩もさせてくれないんですか?たかが10分ですよ?別にさぼってるわけじゃ無くてこれはちゃんと与えられた権利なんで』
ヘルパー(田辺浩一)
いつも笑顔で、大丈夫ですよ!大丈夫ですよ!
と優しくなんでもしてくれるヘルパーさん
唐突によく笑う。その場しのぎの笑いに聞こえるがその割にしっかり笑っていて本心が読めない。
『たかが10円ですから!拾ったと思って!ね?』
『老人たちのいたずらです。この間もバカって書いた紙背中に貼られててみんなでクスクス笑って』
『ずっと真面目にやってきましたよね文句ひとつ言わずに!!!なんで誰も評価してくれないんですか!!!』
菊池(雅美)さん(スナックのママ)
女として生き続ける(生き続けたい)人
自分のことも人のことも好きでいられる人
乳がんを患う。
『お母さん別にあんたのために生きてるわけじゃないから』
『私だって一生懸命やってるよ!あんたと一緒にいたいから』
宏美(菊池雅美の娘)
不安はあるけどどうすることもできない自分をやり過ごす日々
なんにもない町から都会の刺激を求めて飛び出したはずが、結局なんにもなくて、その虚無は場所のせいではなくて自分自身の問題なのだと気づき...、たくない。恐れ。
『なんもない...ほんと、なんも、ない』
『やっぱり、お母さんには生きててほしいから』
溝口さん(お巡りさん)
(※「溝口さん」で合ってるのかわかりません、、、そう呼んでるように聞こえたので勝手に溝口さんと呼んでいます🙏)
面白いこと言ってるつもりで全然面白くない人
厄介ごとには巻き込まれなくないけど、自分がそう思ってるほど周りに気にかけられていない人
ただ自分ではその自覚がない。
『マママ、マジかーってなって。』
『この話めっちゃ面白いっすよね、俺そん時腰抜かすかと思いましたよ』
(井上)智子さん
恋心に生かされる人
私に構ってほしい、気づいてほしい、気にかけてほしい、愛されたい、愛したい
でも世の中そんなに都合よく私のために出来てない。
受け入れたくない現実から、夢を見て逃避する
『今日だけでいいから、私のこと近くに感じててほしい』
『誰に見られたって良いじゃない』
井上(秀樹)さん(智子の旦那)
家庭と仕事の板挟みを静かに抱えている人
仕事でも家庭でも、「俺がいなきゃダメだ」と思いたい気持ちと「俺ではダメだから」を受け入れてしまった気持ち
『みんな上に言ってくれよって話ですよ』
『別れないであげてね…智子、ホントに綺麗になったから』
古川(勝)さん(智子の父)
認知気味の老人
俯瞰した世界を飲み込んで生きている人
迷惑かけてることなんてわかってる。できることなら自分の好きなように生きていたい。
『俺だって感謝してないわけじゃない』
『みんなそーやって人に迷惑をかけながら生きてくんだ』
星野純(雅美の現在の恋人)
若気を忘れきれていないおじさん。
あの頃の俺が好きでいる
そのやんちゃ心を手放せないおじさん。
個人タクシーの運転手、パチンコ通いの日々
『怒んないから、言ってみそ?』
『若い時の俺だったら横っ面2.3発殴ってたぞ』
クソッ、なんも纏められねえな・・・
"父がヘルパーさんに教わりながら、老人会?でダンス踊った日、最初は嫌がってたのにだんだんノリノリになって最終的にはすごく楽しそうにやってたことを可愛がる"という智子のくだり、【パプリカのダンスを老人に指導するヘルパーさん】の姿を是非見てみたいと思いましたよね。2回観て2回とも思いました。←
剛くんの演じる配達員は台詞が繰り返されるフォーマットっぽかった点が多いところが印象的で。
クレームに対する「ピンポン押しても出てこなかったから!結構何回もピンポン押したんですけどね」とか、
奥さんからの電話に「仕事中!今仕事中!なに?茂(息子)がうるさくて聞こえない!」のやり取りとか、
それ以外の台詞も反復する癖があって。室外機だらけだとか、冷房が嫌いだとか、喉の奥かゆくなるとか、、、行動がそうだからかな。
ひたすら荷物を台車で持ってきては家々に分配していく。その日常の動きの反復が舞台上でも浮彫りになるように演出されていたので、この配達員が日々同じことを繰り返している人間だという印象がかなり色濃い。
途中めまいに倒れるシーン(間宮くんが好きだと話す‶カブトムシのシーン”ですけども)、多忙な日々の中、配達物を抱えたまま倒れ込みながら、仕事用ではない個人の携帯の奥さんからの着信に出る配達員。
『今仕事中だから!かけてこないでって言ってるじゃ..おおおお茂かぁ。どした?お母さんは?え?なに?サナギが何?興奮してて何言ってるか全然わかんない!サナギ?え!なに?サナギが羽化して?カブトムシになったの?え!!すごいじゃん!その瞬間に立ち会えたの?すご、良かったなあああ!凄いことだよ!すごおおおいじゃん!えー、生きててよかったなぁ。うん、え?お父さんまだ仕事!まだ帰れない!泣かなくていいじゃん。もうすぐ終わるから!そしたら帰って一緒に見れるからね。』
ここです。唯一配達員の感情が大きく振ったの。
ちょっと泣いてなかった?気のせいかな。
あの配達員が少し泣いてる気さえした。
ずっとずっと同じことばっかりの日々の中で感情を揺らす子供への愛。子供の経験を一緒に心の底から喜べる一人の父(もはや少年みたいだった)の姿が生きる意味だったなぁ。
この人は何を糧に、何が楽しくて生きているんだろうかっていう思考をさせてくる役だったから、1人の人間の、外からは見えていないところにある幸せみたいなものを感じさせてくれた。
みんなそういうものなのかな。
幸せなんて、その人にしかわからない。
外から見えてる部分なんて、外側の人間が捉えてるものでしかないから、人の本質や中身というのは、本当は知り得なくて当たり前で、知ろうとすること自体がナンセンスなのかも。
間宮くんが演じたヘルパーさんは、ある意味今回の舞台でもっとも動きを見せてくれた役でした。
智子の父の介護担当なのですけども、家のこととか、送り迎え、おつかい、粗相の後始末、いつも笑顔で文句も言わず取り組む優しいヘルパーさんだ、と。場の空気を読んで少し大げさに笑ったり、平気な顔をしてやり過ごす技を身に着けてしまった人だったんだね。それがどうやら智子と不倫をしているらしい。それってどうなのよ!、、しかし物語が進むにつれて、優しさで付き合ってたのかなぁ...が見え隠れして。もしくは「優しさ」にかこつけて実はまんざらでもないところも見え隠れして?いい人でどうしようもない人で優しさのために自分の感情を抑え込んでいて危ういところもある。
その優しさで抑え込んだものがラストで暴発する。
"良い人"っていったいどんな人のことを言うんですかね...
名前で呼ばれない2人
配達員と、ヘルパー
たかが10円の人、たかが10分の人
この"たかが"のセリフの対比もねー、なんか凄く2人を言い表しているなって。
(それで言うと"たかがパチンコ"を嫌悪する人もいたな笑)
10円の価値と10分の価値、2人が何に重きを置いて生活しているか。
セリフの言い回しでも絶妙な心理を巧みに表現されていたなぁと思いました。
お巡りさんでさえ、溝口さん?かな?お巡りさんとも呼ばれるし、名前でも呼ばれていたから、作中を通して一度も名前を呼んでもらえないのは実は配達員とヘルパー、この2人だけなんですよね。
ただ、
配達員はそれを受け入れている。そこに重きを置いていないから。見えていないところにちゃんと幸せ(家族)を感じられている。
そして、
ヘルパーは受け入れられないでいる。自分として評価されたい、自分の頑張りを見ていてほしい、承認欲求。
ヘルパーと呼ばれる人は世に何人もいる。その何人のうちの1人でしかない自分。介護さえしてくれれば誰だっていい世界(※そんなことはないはずなんだけど、田辺の思考というていで、そういう表現をしています)
こんなにも違うんだって。
だからどうあることが誰にとって幸せかとか、他人が決めることじゃないなってことを見せられた気がしました。
智子が自分自身を見て見ぬふりしながら逃避出来る場所で心を稼働させるところ
秀樹が自己顕示欲を発信できずにいる苦しさ
雅美が自分(の意志、気持ち)を大事にしているところの強さ
宏美が恐れる虚無
溝口が自分では面白いと思っていて実は面白くないところの空回り
勝の自我と諦め
一言では言い切れないけど、どこか現実世界を生きる自分にもある一面を持った人間たち。
この作中の人物たちを愛してあげることが、自分を、相手を、愛してあげることに繋がるなって。
でも、そんなこと簡単にできないし、できなくてもいい。考えるだけで精一杯でいいんだと。
そしてね、
深くあれこれ考察するのも自由だけど、そこまでしなくていいんだぞって、「星野」を箸休め的存在だと語った赤堀さん自身がなだめてくれているような気もしました。
内容的に自分と重ねて苦しくなる人も多々あったんじゃないかなって思っていて、それは別に間違いではないし、そこに一人一人が受け取るメッセージとか感動、刺激があって、それはそれで良くて。
ただ、舞台を鑑賞して泣いたり笑ったり、そう言う時間がひとつの思い出になればいい。
それもひとつのメッセージではないかと勝手に都合よく捉えるなどしています。
結局みんな同じ人間で、良いところも悪いところもあって、それでいいんじゃないか。
誰に対しても良い人で居なければいけないわけでもない。
法に触れるような悪いことはダメだけど、ちょっとした悪は誰の心にもあって、どうあるべきかの正解はない。
どうするのが幸せかも人それぞれ。
そう言う、まさに今自分がいる世の中を外から見せてもらった気持ち。
どうすべきかっていうより、どうありたいかを求めて届かなくて、でもそれを繰り返してどうしようもなく哀れで滑稽な、それでも愛さずには居られない人間たちに、1人でも多く気がついてくれたらいいな。
深くなくて良いから、「あいつ変だけどなんか憎めねぇよな」って思ってくれる誰かがいてくれたら。
そしてそれくらいは思ってもらえる自分を保ちたいという願望もまた抱いていていいですよね。
わかんないけど、
もしかしたら赤堀さんは「人」が好きで、普段意識して気づけない「人々」の愛苦しさを教えてくれたのかなぁって。
観客はただ人々の滑稽な日常を笑って俯瞰して終わるでも良いのかも。
「あんまり考えすぎんなよ」って、やっぱり「星野純」は言ってた気がするんだよね、笑
あとはね、間宮くんのこと、ファンとして沢山話したいのでね。すみませんね。良ければもう少しお付き合いください。
もちろん離脱もありです。
台風が来て町が一回壊滅したら自分の人生もリセットできるんじゃないか、みたいな苦しすぎる希望
徐々に参っていく感じが。
少しずつヘルパーさんがほつれていって、ついにプツンと糸が切れた時からの演技が本当にすごくて。
爆発した田辺浩一の感情が、
"空間の空気を振動させて身体に到達する感じ"
そういう生の舞台ならではの迫力が何にも代え難い価値のあるものだと思ったし、その場に居合わせることができた幸運に感謝したい。
演技に惚れて落ちたはずが、まだまだ私は間宮祥太朗の芝居力を舐めていたのかも知れないなって思ったりもしました。←
(敬意を込めて、ね!)
でも本当にそれくらい圧倒されて、
「勢力の強い台風って聞いてたけど、大したことなかったね」
で終わると思ってたら、最後に田辺が巻き起こしたそれが23号だったのかも知れないし。
明確に断言できないけど予想、予感のするもの
台風
きっと22号もあったし24号だって来るかもしれない、
来ないかも知れない。
「かも知れない」に怯えたり、もしくは期待したり、人生そんなことばっかだな、とも思ったな。
思考をかなり派生させてしまいましたけども。
あとまだ言いたいのが、舞台を作り上げる美術や音響、照明のプロフェッショナル。
太陽につられて動く影
空の音
町の音
スナックの外に置かれた水の入った2本のペットボトル
スナックの入り口を入ったところの店内の壁に飾られたチェキ写真
2階の窓の外の鉄枠に挟みっぱなしの布団バサミ
役場の張り紙
コンクリート階段のヒビ
ゴミ捨て場の緑の網
錆びたガードレール
どこからか伸びて来たツタ
手入れされていないようでされている植木鉢の植物
窓のくすみ
そこから透ける年季入りのカーテン
砂埃を被った掲示板
動いてるのか不安になる自動販売機
チラつく街灯
他にもまだまだ。
客席の位置によって見えないところ見えるところがあって、どこに座ってもそういう発見があるのかも!と、ワクワクさせて貰った。
どこかの町にも、どの町にもきっとある光景が舞台上のあちこちに施されていて、芸の細かさと技術に感動しました。
その町に入っていけそうだった。
生きた舞台を観られたなって思いました。
それは役者さんの芝居からも舞台を作り上げているその他の技術からも。
あっという間の2時間、刺激を貰いました。
・・・ぎゃーーー!!
何もわかってない庶民がこんなにも長々とすみません。
その日その日で違うセリフの若干のトーンとか、表情とか、細かい言葉の違い、生ものだから起こるその1日だけのオリジナルを体感できるから、出来ることなら何度でも行きたいですよねぇ。
少なくとも私が観劇することのできた2回の公演からは、そんなようなことを感じ取りました。
あと六花ちゃんがめちゃめちゃ可愛くて見惚れた。
ほんと9人が9人とも素晴らしいお芝居で「個」を見せてくれて楽しかったです。
以上です。
みんな、去るんだ。
逃げるなら今だぞ!!!
〜オタクのターン〜
初め上手側上方から現れた、おそらく間宮祥太朗という名の俳優だと思うんですけど、ガチで1回幻想だと思ってその場をやり過ごしましたね。
人生でここまで熱を燃やす推しは初めてなので、その実物を初めてこの目で捉えるなんて、正気で居られるかどうかの方が不安だったので、舞台に集中するためにも、ある意味ぼんやりと推しとして認知しすぎないようにしました。
でも、客席の方に寄ってくるたびにちょっと目を細めたり座席の背中側に出来る限りのけぞったりしてしまうほど、、、
かっこよかったぁぁぁぁぁ
直視?凝視?できねぇよ、、
なんなんだ、オマエ、御前、人間か?現実か?同じ空気を今ここで吸っているのか??!?
オーラが凄くて圧倒されました、、、
初日は1人で観劇だったので、ずっと内臓をギュッと締めて、気を張ってました。
あの芝居を生で見せられて、かっこよさは勿論なんだけど、「私はあんな芝居をする人のファンなんだ、、、それをさっきこの目で観てたんだ、、、」を、宿に着いてからやっと受け入れられて、そこからしばらく涙が止まらなくて。
ということは、普段画面の向こうからしか受け取れない作品も、その作り上げられる時間にどれだけ心血が注がれたものであるのかを改めて考えさせられたりもした。
当然ね、ただかっこいいだけで心を奪われてるわけじゃなかったけど、その心を更に掴まれたと言うかね。
引き込まれすぎちゃいそうで怖かった、、、
そんな中、貴重な千穐楽のカーテンコールでは田辺から間宮に戻った姿での声を聞けて、レポはたくさんの方が上げられてたので私が言うまでもないですけど、
赤堀さんの舞台に出たいという長年の想いが実現したことへの喜びを噛み締める姿に、彼自身がまだまだ過程であること感じて、未来がより楽しみになった。
何よりね、最後のカーテンコールの阿波踊りですか?カチャーシー?まぁその様な舞をね、キャストみんなでワイワイしてる中とびきりの笑顔で見せてくれたことが何にも代え難い土産でした。
守りたいあの笑顔、、、←
今度から腹が立ったら一旦あの舞をやって幸せな気持ちを呼び起こそうって思ったね。
(ヤベェって。気持ち悪い。お前本当気持ち悪い←)
間宮くんファンの方々ともお会いできたりして、初めての間宮現場は本当に刺激的で最高に楽しかった。
なんだって分かり合える仲間がいると心強くて楽しい。
いつもなら、こういう楽しみが終わる(帰路につく)瞬間て寂しくて泣いちゃいそうになるタチなんだけど、今回は不思議と“次もある”って思えて全然寂しくなかったの。むしろ幸せでニヤニヤしながら帰れたくらい。
特別なパワーを感じた
ここで皆様が目の当たりしているのは私の都合のいい生き方でしかないけど、私の哀れで滑稽でどうしようもない一部を自分で認めておくくらい良いかな。
、、、
流石に初めて推しを見ると、文字数も増えるもんですな、、、
本編文字起こし記事と、この感想記事でたぶん過去1.2の文字数を叩き出したね。
迷惑かけながら生きててすみません。
気が向いたらまた今後ともよろしくおねがいします。
今年は台風23号も来るのかな