エバラキリバイコ a diary -2ページ目

エバラキリバイコ a diary

私の社会人生活!

医療系の職に就き、患者様のために日々奮闘中!
まだまだ未熟で悩み事いっぱいですが成長できるよう頑張ってます!
くだらない日常を見てってください(*´艸`)

できれば私の悩み事にもお付き合いください!

私のいる病院は、近くの地域の病院のリハビリスタッフが集まって勉強会を開いている

勉強会を開く病院は順番になっていて、だいたい2年に1回の頻度で自分の病院で勉強会を開く

その勉強会は3~5年目くらいのスタッフが中心となって、テーマを考えて、パワポのスライドやレジュメ、原稿を作って、練習する。

テーマ決めにもなかなか時間がかかるから、だいたい勉強会の半年前くらいから準備を始める

仕事が終わってから作業を進めなければならないから、この時期になると残業が当たり前で帰りが遅くなって、それによるストレスやお互いの意見がぶつかるためかスタッフ同士でピリピリしたりと、憂鬱になる

1~4年目の時は下っ端としてやっていたけど、5年目になって6月28日に勉強会の主催をやることになった

 

6月に入ってからは特に大変だった

勉強会の日の2~3週間前に病院内で練習として一通り発表したんだけど、指摘が多くて、大きく変えなければならなかった

おかげさまで、残業で帰りが9時台になるし、休日出勤もしたし

勉強会の1週間前になるともう疲れがたまっていた

 

勉強会は基本的に主催者が発表者となることが多い

1年目の時から、いつか自分も主催者となって、他の病院のスタッフの前で発表するんだと思っていた

だから、普段声を出さないからすぐ声が枯れやすい自分は、5月くらいから一人カラオケに行って発声練習をしていた(笑)

でも内容とか区切りの関係上、自分は発表者ではなく、現場監督として、席とかタイムスケジュールを作る役となった

そうと決まった時はなんともいえない気持ちになった

たしかに、気が小さい自分は人前で発表したいとは思わない

でもその大事な役をしないというのは・・・

例えでいうと、私は、野球部の高校3年生で、最後の試合に出られずベンチに座って応援するような位置だ

この機会をなくしたら、次勉強会をする時は後輩が主催となるから、発表者は一生やることはないだろう

やりたいわけではないけど、メインの役をやらないのはどうなのだろうか・・・

ずっともやもやとしていたけど、むしろマネージャーとして、当日がスムーズに進むように補佐していくことも大事な仕事と思い頑張った

意外に仕事量が多くて、やりがいはあった

そんな自分に同期が配慮してくれたのか、私の仕事を認めてくれて嬉しかった

 

そして当日。やっぱり詰めの甘い私は当日になってバタバタとしていた。

勉強会のテーマが、すでに他の病院が熟知していたらどうしようとなっていたけど、他の病院も知らないみたいで質問も多く出た

 

なんとか勉強会が終わり、仕事も終わった頃には22時。

同期とラーメンを食べて、家に着いた頃には0時になっていた。

 

勉強会の準備は本当に大変で、もうやりたくはない。

でもいつも同じような仕事が続くなかで、大きな仕事がひと段落ついたようで、終わった後の快感を得られるのはいいのかも

しかもそれはこの準備段階でどれだけ頑張ったかで快感の程度が変わると思う

頑張ってよかったなと思えた

平成が終わるのかー

令和が始まるのかー

あんまり実感はわかないな

 

平成を思い返すと、平成生まれだから、平成は私の25歳までの人生全てになるからなぁ

自分がおばあちゃんになった頃には、平成は私の青春時代という分類になるかな

 

いろいろあったなぁ

どうせなら、個人的に、平成の思い出ベスト3でも作っとくか

悲しかった思い出ベスト3

2位・3位

悲しかった時期は、高校の時かな。行きたい高校に行けたのはよかったけど、仲良い友達と離れて孤独だったなー・・・

実習もつらかった!数週間だけだけど精神的・身体的に追い込まれたからな。大学でも先生に怒られてる時とか。

職場でも1年目とか3年目の始めの頃は上手くできないことが多くて怒られてつらかったな。

1位

悲しかった時期は、小学生の時くらいかな。死にたいってずっと考えてた時代。時間でいうと一番長かったから。

単発の悲しかった出来事は、飼ってた鳥のユノが亡くなったことかな。

 

楽しかった思い出ベスト3

3位

友達とディズニーに行った時とか、職場で同期といろいろ話してる時とか。

仲良い友達が少ないからこそ、一つ一つの小さな出来事が楽しい。

2位

合宿型の車校に行ってた時かな。仲良い友達と行ったから、長くいられて楽しかった。

1位

中学の剣道部にいた時。友達が少ない私に、初めてわいわいできる友達ができて楽しかった。

喧嘩っぽいこともあったけど、一緒に笑える時間のほうが多かった。あんなに子供っぽくはしゃいで遊ぶのはもう難しい。

本当、青春のど真ん中って感じ。

 

頑張った思い出ベスト3

3位

富士山登山。8~9合目とか寒くて疲れてつらかったけど頂上まで耐えて頑張った!

2位

今。かな(笑)去年の秋、片思いの人が異動になって、楽しい今はずっと続かないことに気づいた。だからこそ今を頑張りたいと思って私なりに後悔しないように仕事を頑張った。それのおかげなのか、職場で表彰もされてよかった。

1位

国試の勉強、実習の時のレポートまとめが一番頑張ったかな。頑張ったからこそ作業療法士になってる今があるから。

 

嬉しかった思い出ベスト3

2位・3位

正直、1位とも同列くらい。ベスト3の意味なし(笑)。嬉しいのは、こんなしょうもない私に優しくしてくれたり、希望をもたせてくれた恩人に出会えたこと。

不愛想でわがままな私をみてくれた親、泣き虫な私に付き合ってくださった中1の時の担任、中2の時の担任・副担任、そして剣道部の友達・先輩、寂しくて空っぽだった高3の時に応援してくださったブログつながりの人(フラヲルトさん)、厳しくも助言してくださった大学のアドバイザーと卒論の先生、大学卒業後も仲良くしてくれてる友達、絶望してた時期に作業療法士を目指すきっかけになった実習の先生方、社会性のない私を優しく教えてくださったバイト先の方、職場でダメダメな私に付き合ってくださってる先輩・上司・同期・・・一つ一つの思い出はもう書ききれない。

人付き合いが苦手で、こんなどうしようもない私だけど、こんなにも温かい人たちに出会えて、本当に嬉しい。

死にたいとしか考えられなかった苦しかった私の人生が変わったのは、温かい人たちのおかげ。

1位

作業療法士の国家試験に受かった時は嬉しかったかな

高校とか大学は推薦だったから勉強はあまり関係なかったし受かりやすいし。国試は勉強次第だから。

自分のやったこと、努力が実を結んだのはやっぱり嬉しい。

 

あまりベスト3になってない(笑)なんかこう、優劣をつけにくいというか、その時はその時で1番だったから・・・そして途中からうつのが面倒になったという(笑)

 

これから令和になって、もっと大人になっていくと、こういう出来事っておきなくなっていきそう。

こういう思い出って、物事に対して、どれだけ自分がそこに真面目に向き合ったかによるよね。

結果だけを求めるなら、いかに効率的にすすめるかが重要だと思うけど、私は不器用なりに進んだこの過程のほうが思い出に残りやすいというか。

剣道部だって全然良い成績は残してないけど、仲間と一緒にいられた時間が印象に残ってるし。

空っぽの私だけど、これからも、何かしら挑戦して、温かい人たちに出会って、大事なものを増やしていこう。

令和でも、25歳を過ぎても、まだまだ青春ということで!

・・・そんなことを書いておいて、今日一日はほとんどごろごろ過ごして、夕食に両親にご飯おごるっていう親孝行をしたくらい(笑)

婚活を始めて約34ヶ月

出会いは増えた

まぁ私の顔を見て断ってくることもあるけど

2人くらいの男性と会って、デートらしきものもした

1人目は、相手側から告白されたけど、私とは好みが合わないから断った

2人目は普通って感じ。私と空気が似てるけどまだ緊張する


新しい出会いを求めてやってみてるけど

なんかもう疲れる