「そんなこと、はしたないからやめなさい」
「女の子は、そんなことしないものよ」
「男なのにそんな事するんだ」
「それはやめたほうがいい」
父親かもしれないし、母親かもしれない。
友達や先生かもしれないし、
テレビなどで
「そういうことすると、こういう目に遭うという場面」を見て、
やめたことがあるかもしれない。
自分がやろうとしてたけど、やめたこと
言ってくれた人を恨んではいけないと思います。
そのときは、この社会で生きていくには、
相応しくない振る舞いだっただろうように見えて、
良かれと思って言ってくれたのだと思います。
それのおかげで、量産型の角の取れた丸くなった人間として
少なくとも、この日本社会で一定に生きられるようになっているわけなので。
ただ
自分の才能や個性を発揮して生きることができているかは
別の問題になると思います。
自分がやりたいと思ったけれど、やめたことを思い返してみて
それが実現できないかを考えてみる作業をしてみるのはいいのではないかと思います。
(明らかに犯罪的なものはダメですが)
あのときこうしたかったけれど、やめることになった。
本当にやりたかったことは何だったのか。
そのやりたかったことを思い出して、
できれば複数思い出して共通項を見出したりなどして
そのやりたかったことの本質は何だったのか。
それを探って
自分のやりたかったことの中心・コアみたいなものを見つけ出すと
自分の本当の道が見えてくるように思います。
やめろと言われた時はショックだったかもしれませんが
一度離れて改めて振り返る場合には、少し冷静になれると思うので。
永遠に自分探しをしているようにも見えますが
自分探しとは、自分の生きている意味を探ること。
生きるとは何なのか、人生とは何か、それを見つけることなので。
少なくとも自分にとって、意味のないものではないように思います。
毎年年末から1月にかけて、去年のものと比較しつつメモを残して
今の自分がどれほどできているか、定点観測的に確認しています。
死ぬ間際に
「自分は、生きていてよかった。悔いがない人生だった」と思えるように。
すべては自分のためだし、自分の人生のためなので。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
何か少しでも、プラスになるようなものを見出していただければ幸いです。
今後とも宜しくお願いいたします。