久々のブログ。
色んな記事は読んでいますが、自分の投稿となると、、
遠のいてしまいます。。



コロナ禍、自粛疲れの方も多いようですが、うちは子どもが一人で小さいためか、お休みの日も近所の人気ない公園で少し遊べば満足なので。


自粛前も中も生活はほとんど変わりなし。


身近に感染者や濃厚接触者も出ていないのでいつも通り。



強いて言えば温泉旅行に行きたい!!
のですが、、


割とノンストレスに生活できているので、ありがたいことだと思っています。





タイトルの私の気持ちについて。
グチグチ暗い内容です。。







最近、母親が自分の子どもを殺したニュースを目にしました。



テレビから目が話せなくなりました。



今までの自分なら、なんで「そんな親」に子どもが産まれて私にはなかなか授からないのか。
なんて思っていましたが。



事情も、状況も、何もかも無視して、子どもを死なせてしまった事実のみ捉えると、

いまの私は、今まで私が考えてきた「そんな親」と同じだな。

と思いました。




何もしなければ死んでしまうとわかっているのに産んですぐ放置して死なせてしまうこと、
は罪に問われるのに、


絶対今産んだら生きられないってわかっていて、死なせるために産むことは、罪に問われない。


法律で決まっているので仕方がないですが。


ただ、週数の線引きがあるだけ。





「そんな親」がこの先、また子どもを望んでもいいのか。



次授かって似た状況になったら、また同じことをしてしまうのか…






また不妊治療するかは決めかねているところがありますが、とにかく今はお金もないし、働かなければならないので、、


少なくとも今年は今後を考える猶予期間かなと思っています。




仕事でも街でもみかける妊婦さん、マタニティマークつけてる人、みんなしあわせそうで、つい目が奪われます。











まひろの出産予定日の3/24、近づいてきました。



21トリソミーだったし、心臓の病気もあったし、産み育てると決めて順調にいっていたら、きっと予定日より早く帝王切開になったはず。



そしたらもうすぐ産まれる頃なんだな、と思いました。



今日は私の誕生日。



本当なら大きなお腹で迎えていたはず。



なのに、みんなでお祝いする用のワインを選んで、おいしく飲んでいます。






まひろは変わらずリビングにいます。



お花は常に、私か長男が選んだものを飾って、



たまにお菓子をお供えして、(バレンタインは手作りのクマのマフィンをあげました)





長男は、まひろが寂しくないようにと、たくさんぬいぐるみやおもちゃを置いてあげてます。




おはよう、おやすみ、行ってきます、ただいま、の挨拶をする。





たまにだっこして(骨壺を)なでなで。









そんなことしか、まひろの為にやってあげることができません。




書いていてよくわからなくなっています、、



中絶した事を後悔しているのか、、



そうではないと思うけど、どうしても考えてしまいます。







でもきっと産み育てると決めていたら、出産を目前に控えたいま、私は何を思っていたのか、





育てる事を決めていたとしても、

ちゃんと無事に生まれてこれるのか、

生まれた後の手術を乗り越えられるのか、

入院生活を支えながら長男のこともフォローできるか、

周りにはなんて説明するか、

仕事はできないのか、





たくさん考えることがあって、悩み、苦しんでいたかもしれない、けど、




それ以上にすごくかわいくて、大切で、幸せな気持ちもあっただろうな、




とか、自分に都合の良いことを想像してしまってます。
















もし天国があったら、






まひろはちゃんと行けてるのかな、



私は死んだらまひろの所へ行けるのかな、



と、考えてもしょうがないことを思ってしまいます。