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政府および都道府県知事が記者会見する機会が増えた。

 

会見は同時にネットやTVで生中継される。

ネットでは、リアルタイムに視聴者のコメントが流される。

そのコメントを読む限り、そのレベルの低さにただただ呆れる。

 

直ぐに、自分の欲求を満たして欲しいとがなり立てる一部のネット意見に耳を傾けていたら物事は収束せず無限に発散することが、この会見を見ていてよく分かった。

脊髄反射でがなり立てるような一部の思考出来ない人間と同じレベルの人間が国のトップに居たことで人災に発展したのが菅政権だ。

今の政権は、あのような思考出来ない政権で無い事は幸いではあるが、国のトップとして本物のリーダーとしての振る舞いが出来ているかと言えば決してそうではないだろう。

 

首相が会見で述べるレベルの話と、担当者レベルで会見すべき内容が分けられていないのが残念だ。これは知事の会見も同じだ。

政治・防衛、経済、医療など多方面においてそれぞれに統括管理監督すべき人間が全く表に出て専門家として言うべきことがあるハズだ。

それを総括するのが首相であり知事である。

 

リーダーがリーダーとして機能する為には、体制すなわち組織構造が明確になければならない。それが無いから、一部の「思考出来ない民」が感情的無様さを晒しているだけなのに本人は英雄気取りで悦に至るという無能なスパイラルを引き起こすのだ。

その結果、トップが無能といった様に映し出されるのである。

 

東日本大震災を振り返った時、被災された市民がどう振舞ったか思い出して欲しい。最悪の状況で市民一人ひとりが、自らがどう振舞うべきかをちゃんと「考えて」行動していた。報道されなかっただけで自己中な人間は居たのかもしれないが、それでも、あの大惨事の中で冷製かつ秩序をもって振舞った日本人というものをもう一度思い出すべきだ。

そういう考える民が居たから、考えない時の政権にも関わらず日本は日本国として機能できたと思う。

 

さて、この武漢肺炎パンデミックではどうだろうか?

菅政権と比べたら失礼ではあるが、首相としての振る舞いは弱すぎるように思う。目線が常に党内もしくは与党内に向いていると言わざるを得ない。リーダーとしての考えに間違いがあるかを随時チェックし助言していく参謀やブレインが不在なように見えて仕方がないのだ。それと党内の力関係、特に老害に弱腰なリーダーのあってはならない姿まで見え隠れする。そういう姿が見えれば、思考出来ないマスコミと思考出来ない民が自分勝手な振る舞いを始める。その姿を日本の外から見れば日本は統制が聞かない無能な集団の国に見えることになる。それは経済の落ち込みという形で現れることになるし、防衛面でも隙を与えることになるのだ。実際、そこを突かれているのにリーダーに危機感が無い。

 

リーダーに危機感が無いというのは、同時に責任感が無いということになる。

トップに責任感がないのは、大きな経済団体に加盟してる大企業の多くが陥ってる病でもある。

その病に陥るのは、リーダーが何もしなくても食うに困らない環境がそういう人間を作る。そんな無責任なリーダーは決算の数字しか見えない。だから組織立った思考が出来ず、良い話ばかりに喰いつく。結果、組織の殆どが腐っていることに気付かず組織自体が消滅するのだ。

 

日本の政治のトップはどうだろうか?

この何代かのトップに比べたら責任感はある方だろう。ただ、リーダーとしての魂が足りない。思考出来ない無責任な老害を叱り付ける勇気が無い。やり遂げていない仕事があってそれを通すにはそれが出来ないのは分かるが、実は、それをやり遂げるためには腐りきった組織を壊す必要があるのではないかと思うのだ。土台から直して行かないとやり遂げたい仕事もうまく行かないのだから。

足を引っ張る野党にも喧嘩を仕掛けるべきだ。野党は最低な振る舞いをしていることを知っていてあのようなレベルの低いことを延々と繰り返して与党の仕事を邪魔をしているのだ。そのことがいかに恥知らずで無能な行為かをきっちり指摘すべきであり、敵である野党を討論出来るまともな野党に育てるのも日本の政治のトップがやるべき仕事であり責任だと思う。野党を叱咤することで考えない民の一部は何かに気付けるだろう。

 

リーダーとは、細かいことはやらなくていい。方針を明確に説明し国・地方・国民それぞれに責任を持たせる。それぞれが何をすべきなのかを分からせ責任を持たせるのが仕事だと思う。

その結果責任を持てる度量が持てて初めて本物のリーダーと呼べる。

 

どの組織にあっても言える事だが、常に逃げ道を用意している者はリーダーではない。