私が 小さい頃から 漠然と 知っていた 世間体


それは 大きくなったら 結婚して 子供は 二人くらい

そして、マイホーム🏠を購入


こういった 流れのシナリオだった


大人も ドラマも 持ち家を 持つことが ひとつの 成功者としての 証 目安として、

人生ゲームで言えば 順風満帆 いい感じで 結婚後の ステージのコマを 進めている ある意味 ステータスであり、平和の象徴であり、一般家庭の 在り方という 括り付けに 思う…


小学生 中学年の頃 下校道 友達と 自分の家は お金持ちか的な 話が 出た…


当時 子供ながら 家の 所持金も 父の稼ぎも まるで 知る由もない私が きっと うちは フツー(?) だろうと 思うところから 発した

「うちは 中くらい」


すると 言葉を 探していた お友達らは 口々に

「うちも フツー」 「わたしの家も フツー!」


と 言って 内心 安心し合った(笑) ものよ…


こんな 漠然とした 大きくなったら…の 漠然とした 世間体の 刷り込み シナリオを 私は どこかで なんでだろう🤔って 思ってたんだよね…


でも 目の前の 学校も 家庭も 友達も 習い事も…

そんな 疑問を 呈したりは しない。

することもない。

だって、 そうやって 行くのが フツーなんでしょ!?


だから だれも 考えない

考えても 口にしても しなくても

頭から 「何言ってんのよ?」「そんな くだらないこと 言ってないで きちんと?! 勉強して 頭良くなんなさいよ…」


そんな ご時世だったよなぁ…


高校生の時、

そもそも 目覚まし時計で 起こされるのが 腹立たしかった私は ピピピ音が イヤで おしゃべり音の 目覚まし時計を かけていて…

それでも ギリギリまで 布団に しがみついて…(笑)


ある朝 あ〜 も〜 起きたくないけど ギリギリだから 仕方なく 起きた時

突如として 心に沸いた 言葉を つづると…


『もう‪💢 なんでさ、 毎日 毎日 言うこと聞いて 起きてるのに(学校行く為に) “ずっとずっとそうして言うこと聞いてきてるのに” たまにはさ‪💢 わたしの言うこと聞いてよ‼️』


腹立ち紛れに 心の中で そう 叫んでいたんです。

私自身も 何言ってんのか だれに向かって 言ってんのか もはや I don't know.…


いつものように 駅まで 走って 行く道中も

なんて言ってた?

どういうこと?


なんだろうσ( ̄^ ̄)?


わけわかめ だったよ 自分でもね


また、ある時 虫歯で 歯医者に 通うんだよ。

親が そこの歯医者がいいからと、引越ししたけど 前の 住まいの歯医者まで バス 電車使って 行ってたよ

たいてい 当時は 予約してても 1時間とか 待つんだよね…

そんなことを 数回 繰り返して、 やっと 歯医者さんの OKが 出て、晴れて 治療を 完了した時の 会計時からの 心の軽さよ(笑)

歯医者の ドアを開け 青空を見上げ、

あ〜 私は 解放された!

自由だ!

そんな 気楽さ 爽快感 ♪


あ!そうだ 駅の スーパー 駅ビル なんか 寄って行こうかな〜🎶

その後に ふと 明日のことをカスめる…

あ!? アレやっとかないと…

あ!? アレしとかないといけないんだ…

あ〜⤵︎ ︎ 明日も 学校だ… 職場だ…


そんな あれこれが かすめた時 一瞬で 解放感は すっ飛んで 日常の 縛りに 心沈む…


歯医者の 束縛が 解放されたのに、 結局は 日常の束縛…。

思ったよ。

経験ないけど 6しょに かりに 入ってて 契機を終えて 出てきて あ〜 自由だ!って 青空見上げてさ…


とぼとぼ 外へ 向かう時、 心は 晴れてるの?

足取りは 軽いの?

私は あ〜 仕事 探さないと… 重し着いちゃったから 簡単に 雇ってもらえないんじゃないかという 重荷

住む所 探さないと…

あ〜⤵︎ ︎ これもまた ぜんか ついちゃったから なかなか 受け入れてもらえないんじゃないか…

つかの間の 『自由だ!』…

結局 私たちは ずっとずっと そうやって 縛りの中にいたのかな…



今となっては 鮮明に 分かるよ

私は ある意味 正しかった。


この 世の シクミに 

見えない 在り方に

世間体という 縛りに

本来の 自由を 封印されてきた 在り方を

知ってしまったから。