私が放送部の顧問となったのは、研究授業の失敗がおおきい。森高校である程度の実績を持って

碩南高校に赴任した。最初の研究授業のことであった。正直に言って私はその研究授業のテーマを絞ることも出来ず、しかし、新鮮さも出したいと思いながらも、努力を怠ってきた。その日の授業は前の国語科の出張で、ある大学の先生が模範授業としてやったものをそのまま丸写ししたのだった。手書きのいい加減な指導案であった。その授業を行うなら、そのメソッドをしっかり理解して、

教材研究もせねばならなかった。しかし、私はその両方を行わず、形だけを真似たのだった。

 授業後の反省会で、ほかの先生から、授業についての意見が出された。それぞれ当たり障りのない表現で私の授業について論評した。しかし、そのクラス担任の先生は最初から腕を組み、目を閉じ額に眉を寄せて、不穏な空気だった。最後に司会の先生が、その先生を指名して「先生なにかありませんか」と、聞いた、するとクワッと目を開きその先生は机を叩いて、「あんたはうちの生徒を舐めているんじゃないか。生徒からあんたの授業は分からないと聞いていたが、あれじゃ分からん。ふざけるのもいいかげんにしよ」。と、言われた。私は全身鳥肌立った。その先生は完全に私の心の中をよんでいたからだ。全く何のいいわけも出来なかった。反省会全体が重い空気に包まれていた。本当はほかの先生もそう言いたかったのだろうけれど、新任としてやって来た私に遠慮してそのことを言わなかったのだろう。誰ひとりとしてその先生の意見に反対する人はいなかった。

重い空気のまま、その反省会は終わった。

 反省会の後、私はそのせんせいのところへ行き、自分が準備不足だったことなど正直に話した。

その先生は「今度来る先生は前の学校で実績を積んだと聞いたので、期待していたのであんな言葉が出た。本気を出せばやれると思うのでこれからがんばりなさい。」と温かく受け入れてくれた。

 その次の年度替わりの前に、私はその先生から放送部の顧問を委託された。人工透析をなさっているから、というのがその理由だった。私は即座にそれを断った。なぜなら、私はそれまでほとんど部活動と言えば運動部ばかりで、放送部は、説明下手、話し下手、更に機械音痴ときているので、自分と一番遠い存在にあるものと考えていたからだ。その時は、学校の中で一番の信頼をおける先生になっていたが、私は上記の理由で固持しようとした。するとやや強引に、「いいからやんなさい」と、押しつけられた。まだ反省会で机を叩いて叱られたことを覚えていた私は引き受けざるを得なかった。その後、その先生が大分県の国語表現の先覚者であると同時に、NHK全国放送コンテスト大分県に初めて全国優勝をもたらした、すごい実績のある方だということを知った。

 放送部を持ったのはいいがやり方は全く分からない。原稿の添削や読みの練習などは、その先生に依然として見てもらい、私はそのやり方を見て指導の流れやポイントを覚えるようになった。その先生の厳しさは、生徒にも共通しており、本気で原稿を書いてないということが分かると、生徒の目の前で、破ってしまった。私の「全国大会に優勝するにはどのくらいの練習が必要ですか」と聞いたところ、「書き直し20回、読みの練習1万回」とこともなげにおっしゃった。それまで、部活動の練習と言えば大会前に少しだけやるものと考えていたが、放送部でも運動部並みの練習が必要だということがわかった。伝統校の練習は並の体育部よりハードなスケジュールをこなしていた。

 碩南高校である程度まで放送部指導の方法が分かったところで、次の上野丘高校へ異動になった。上野でも、その先生のやり方を継承しようと考えた。顧問になった日から「厳しく上を目指すかなる仲良しクラブにするか。前者なら厳しい訓練にすぐ取りかかる、後者なら書類に名前を書くだけの顧問になる」と言った。それまで、仲良しクラブ的な放送部だったが、私の提案で放送部の意見が割れた。放送部室に生徒から呼ばれ、ミーティングを行ったが、その中の部長・副部長を始め数名は、はっきり私に敵意の目を向けた。その中のある生徒が「ここは喧嘩をする場所ではなく自分達の部活動がどうすれば良くなるかを考える場所なので冷静になって考えましょう。」と、ある生徒が言った。そして、私は部室から出され、生徒だけで話し合うことになった。

職員室で待っていると、2年生の中心的な生徒が「先生の方法でやって下さい。私達はどんなことがあってもついて行きます」と言いに来た。

文化部は、運動部に比べて楽だと思われがちだが、コンテストのことを考えると、一年中練習を止める時期はないのだ。

上野丘高校で生徒との意見の食い違いがあったが、そのうちの一人の3年生は、毎日熱心に練習を続け、それまで県内予選にもほとんど出たことがないという生徒が、初めて出場したアナウンス部門において県で優秀賞に輝いた。私は県大会まではその生徒が、ほぼ完璧だと思っていたが、いざ、全国大会の舞台に立つことを想定すると、あちこちが不備のままのような気がした。そこで

OBSのアナウンサーに依頼して、点検して貰うことにした。そのアナウンサーは大変親切な方で

1分半の原稿を4時間かけて、修正してくれた。生徒もその指導に答えて、全国大会では準決勝まで駒を進めることが出来た。他の放送部の先生から「彗星のように表れた」と評判になった。