私がレッスンで落ち込んでかえってきて、もう無理だ。死のう。死ななくてもニートになるんだ。って泣いてしまった。
母はいつも通り慰めてくれた。だけどやっぱりこういう時の私には母の言葉は届かない。受け入れられない。
少し時間を置いて、姉が慰めに来てくれた。姉の慰め方はやっぱりなぜか受け入れられて、とりあえずその時は立ち直った。
でも母がお風呂をあがったら、泣いた後の顔をしていて、やってしまったと思った。
たまにある。母が密かに泣く日。限界の日。
でもそれをわたしのせいだと言うと母はもっと罪悪感を感じてしまうから。
あいにく今日の朝には姉が出社しに行かなければいけないとの事で、これ以上私のことも母のことも慰めてあげられない。と、姉は不安を抱えたまま仕方なく2階に寝に行った。
問題はその後。
今はそっとしておくべき。私が声をかけるのを我慢するべきだと頑張っていたのに、私はやっぱり自分の罪悪感に勝てなくて、母に声をかけてしまった。
「いつも私が死のうとするのを止めてくれてありがとうね」って。
そうしたら母は 全部自分のせいだ。お母さんがもっとちゃんとしてれば。子供たちが小さい頃にそばにいてあげれば。と泣き出してしまった。
今の状況の母に何を言っても通用しないのは分かっているけど、どうにか元気になって欲しくて、いつもの母に戻って欲しくて、
できるだけ母の言っていることに共感して、声をかけたつもりだった。
「頑張ってかける言葉を考えてみてるんだ」なんて子供なことを言ってしまったばかりに、
母は、「それがいつもお母さんが思ってる事だよ」って。
そのまま洗濯物を干しに行った。
母はネガティブになった時身体を動かしたい人だから、またそれぞれの時間に戻った。
でもやっぱり思ってしまう。
自分のせいじゃないと分かっていても、母を苦しませてるのは私なんじゃないか、私が病気でなければ母はどれだけ楽か、って。
自分を認めてあげられない自分が嫌で、でもそのせいで母まで巻き込まれて苦しんで、
私はどう生きたら幸せになれるんだろう。母は私が幸せになれば楽になるのに。
なぜ芸能の道に行こうと思ったのか、なんて考えることもあるけど、今はそれが無いとニートになってしまう、何も価値のない人間になってしまうと思って、苦しくても辞められない。諦めたくない。
でもいくらその意思が強くても、病気が付きまとえば今日みたいにまたネガティブになって、いっそ辞めてしまおうか。なんてことになってしまう。
そうなるとまた、母が、上手に育ててあげられなかったから。と
悪循環。
この悪循環から一体いつになれば開放されるのか。もはや開放される時は来るのか、と。嫌な事ばかり考えてしまう。
お世話になっている分際でこんな事を言っていいわけがないけれど、病院に行っても解決しない。カウンセリングには意味があるのか。なんて考えてしまって、
結局私の苦しみは家族の苦しみなんだな、他の人が介入して解決できるような、簡単な話じゃないんだなと痛感する。
もっとしっかりしなければ。社会人として。とか、大人として。じゃなくて
人間として。
病気なのは仕方がない。理解して貰えないのは辛いけど、決して自分が悪い訳では無い。自分が居なくなればいい訳じゃない。と、自分に言い聞かせるしかない。
病気って本当に孤独な闘いなんだなと、身をもって感じる。
頑張ろう。今やっている事を、1週間に1回くらい泣いたり挫けたりしたっていいから。 
だって病気なんだもん。今は自分にあまあまで。一日中スマホを見てる日があってもいいじゃない。誰かに迷惑をかけている訳じゃないし。むしろ一日を生き抜いた事を褒めてもらうべき。
外に出られた日には、自分にご褒美をあげよう。それくらいあまあまで。
今はそうする事でしか上手く生きられないんだから。
誰になんと言われようと、今は生きることに必死なんだと心の中で言い張るしかない。
もし心無いことや、分かったような口を聞く人には、この苦しみが分からないお前は人生経験が少ないんだな。こっちは病気という戦争の中を生きているんだ。甘ったるい世界で生きて来たんだな。と心の中で嘲笑ってやる気でいればいい。
そう思えない日もあるけど、これを見返して、そんな風に思えたら苦労しないよ。と思うか、確かにそうだな。と思うかはその日のダメージやメンタル次第。
頑張れ自分。辛くなったら、とりあえず生きることだけを忘れなければそれでいい。