リエゾンのドラマ版をTVerで見る。録画予約してたつもりが録れてなくて、こういう時に今は色々な手段で見られる事はとても便利爆  笑

 

ドラマ化するにあたって細かいところは違ったりするけど、全体的に原作に忠実でとても良く出来てた。何より役者が上手いので感情移入してみられた。特に子役、すごく上手い。今の子役は本当にすごいなびっくり

 

当事者の気持ち、母親の気持ち、両方身に覚えのあることばかりで胸がギューっとなった。「発達障害」という言葉が一人歩きをして不安になったりする部分もあるけど、その感じこそが偏見なんだと思う。でも、正しく知って、向き合って、対処法を考えることで生きやすくなるのは事実。対処法が上手くなっても失敗しやすかったり理解されづらかったり白い目で見られることをやってしまいがちなのも事実。

 

最近、受験を前にして書類を見て思う。喜ぶべきなのか否か、息子は教室にいて違和感のない存在にはなれたけど、忘れ物や失敗はまだあって、そこを配慮されないと成績が付かないんだなとつくづく思う。振り返れば、小学校の授業参観や野球教室時にはまず浮いていて親として恥ずかしく見ていられないと思う行動が多かった。リエゾンの1話のADHDの女の子と、言葉をそのまま受け取る絵を破ってた男の子。その二面性を併せ持つ子だったから。天真爛漫に見えて気持ちの赴くままに動いてしまうかと思えば、こだわりが強く融通が効かない、言葉の意味や裏を汲み取ることができないから細かく説明しないと伝わらない。途中でクリスマスのこと説明して表情が少ないタイプもADS強めなんだろう。図鑑男子だった頃の息子を思い出した。

 

迷惑行為も子供のやることだから親が謝る場面やお願いすることも多く「教えてないわけじゃないのに、なんで私が」って思っちゃって凄く辛かったし情けなかった頃も思い出したショボーン

でも悪いことばかりじゃない。息子や娘を知ることが自分の特性を知るきっかけにもなって対応の仕方がわかってきたら子供達が変わってきて少し特徴はあるけど教室で全く浮かなくなれた。何より、虐待寸前だった私の精神的にきていたものがおさまり、親子の絆も切れかかってたけど結び直せてる気がする。


目に見えない障害というのは理解されづらく、でも今はクラスの1/3はその気があると言われている世の中。何より我が子を理解できない育てづらさを抱えるお母さんたちも、その分多くなってるということなんだろう。

「発達障害」とわかったところでどう向き合い育てていくべきか。社会的に肩を並べる力があれば、障害じゃなくなる障害とも言える。凸凹、向き不向き、いろいろ言い方はあるけど、個性に合った居場所を見つけられる力を身につけるということが一番大事なんじゃないかな。今更だけど、私にしかできないことってなんだろうと良く考える。経験者として役に立てるならペアレントメンターとか、勉強してなるのもいいかもしれないなぁ。