私の流儀 心と身体の使い方

私の流儀 心と身体の使い方

何を思いどう生きるか。
人の数だけ考え方、流儀がある。
私の、そして多くの人の流儀を通して、唯一の存在としての自分の在り方を考えるヒントを綴ります。

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背中ビフォー・アフター


3カ月後の写真です。


背中は普段自分で見ることができないので
意識が難しいパーツではありますが
コントロールができるようになってくると
楽しくなってきてやりがいがあります。


こうなると背中のトレーニングが好きになってきます。

ある一つのことを続けていると
どこかで違和感が起こります。


良い流れが続いているのであれば
問題はないのですが、
そうでない場合は
継続の中身が
惰性やマンネリであるか
疑ってみます。


明確な理由が分からなくても
「何か違うかも」といった
違和感がある場合は
その直感に従ってみます。


今継続していることに
とって代わる他の方法が
すぐに見つかれば良いのですが
それができない場合
「やめてみる、休む」も一手です。


例えば
意識せずに続けていることに
「目を使う」があります。


目を開いて何かを見ていることが
当たり前になっています。


反対に目を閉じていることは
一日の中で考えても少ないはずです。


大方が目を酷使しています。
私もそうです。


湯船に浸かり
目を閉じてみて
つくづく感じたことでした。


いかがでしょうか。

嫌なことが気になって執着してしまい
心を痛めることがありました。


私には何の落ち度もなく
根拠のない謂れを受けた為です。


面と向かって言われたことなら
その場で応じることができるので
尾を引くことはないのですが、
名も名乗らずに
嫌味やら批判やらを
書いて残す行為に
やり場のない怒りを
しばらく収めることが
できませんでした。


でもこういう時は、
時間をおいて
対処をするのが良いのです。


また、
気になって仕方がないのは、
そのことに「集中」
している証拠でもあります。


ネガティブな「集中」です。


この場合には、
他のことに「集中」するのです。


嫌なことを「切り捨てて」です。


人間としての器を
広げることにならないか
どうかを考える。


自ずと選択すべきものが
見えてきます。


いかがでしょうか。