「事故当時三浦半島で何が起こっていたのか?」
について、講演会で話をする機会が増えてきました。
講演会は、保育園の父母の会主催だったり小学校のPTA主催だったり、
自分主催だったり様々です。
アンケート結果などを見てみますと、
講演会で話す内容で一番インパクトがあるのは、
やはり昨年3月20日に測定した
自宅マンションの換気口フィルターのガンマ線スペクトルです。
下の写真は、2011年3月20日の昼に、
横須賀市日の出町の自宅マンションで撮影したものです。
測定器は、エネルギースペクトルが取れる
キャンベラのInSpector 1000という2インチNaIサーベイメータ。
換気口のフィルター4部屋分を検出器の前に置いた状態で測定しました。
この写真でも分かりますが、なにやら見慣れぬ鋭いピークがたくさん見えます。
放射線計測の教育などで、色々なガンマ線のスペクトルを
測った経験はありましたが、こんなスペクトルは見たことがありませんでした。
ピークのほとんどが原子炉の中で作られる人工の核分裂生成物。
しかも半減期が数日のとっても「フレッシュ」なものばかり。
分かりやすいのが、左から見て最初の目盛付近にある一番高い山で、
これがヨウ素131(エネルギー 364 keV)のピーク。半減期は8日。
その左隣にある高い山がテルル132 (228 keV)のピーク。
これがなんと半減期3日。
真ん中付近にあるいくつかの小さい山は、
テルル132が崩壊してできたヨウ素132や、
セシウム134、セシウム137などの山が重なりあったものと考えられます。
とにかく衝撃だったのが、半減期3日のテルル132や
半減期8日のヨウ素131が含まれていたこと。
つい数日前には原子炉内の燃料棒に入っていたはずのものが、
自分のマンション内、それも触れば手にくっつくような状態で
存在している現実・・
原子力災害が自分の身に降り掛かっていることを実感した瞬間でした。
1号炉で水素爆発が起きた3月12日からマンションの24時間換気を
切ってきたはずですが、台所やお風呂場で短時間換気扇を回すことがあり、
若干外気を取り込むことがありました。
これらの放射性物質は、横須賀に放射性プルーム
(放射性物質を含んだ風)が到達した
3月15日もしくは3月16日にくっついたものと推測されます
(3月17日から3月20日の期間、風向きの関係で
横須賀に放射性プルームは到達していません)。
「自分の家にも放射性物質が入ってきていた」という証拠ですので、
このデータを講習会でお母さん達にお見せすると、やはり皆さん驚かれます。
ただ、講習会の目的は不安を煽ることではありません。
本当の事を知ることで、「あー、あの時こんな事が起こっていたのか」と、
逆に安心してもらえると考えています。
また、今回のような事故が2度と起こらない保障はありませんので、
防災という意味で「放射線はよく知らないから無関心」というのも
あまりよくありません。
そう思われている方にはちょうどよい刺激なのかもしれません。
関東では、事故当時自分が住む地域で何が起こっていたのか?
について報道されることはほとんどありません。
その事が、住民の間に今でも残っている放射能に対する
漠然とした不安の原因の一つではないかと感じています。
というわけで、今後も機会があれば、積極的に講演会などを行っていきたい
と思います。
なお、この測定の次の日(3月21日)には、前線通過に伴う降雨により、
関東圏で大規模な放射性物質の沈着が起きました。
現在の横須賀の汚染状況は、このとき2~3日降った雨で
ほぼ決定したと考えてよいでしょう。