ロベルト・シューマン音大への道 その2 | しるしぶみ ~ほんとうのルードヴィッヒ・デッペ、その解剖~

しるしぶみ ~ほんとうのルードヴィッヒ・デッペ、その解剖~

欧州国留学から今に至るまでの長い 茨道のしるしぶみ。
道先に立っていたのは、
ドイツ人デッペとカラントだった。
私の中で形成されてきたものが彼らのそれと重なっていた。
その人達の顔を知らずして、
図らずしも 私の手は、羽根 になっていた。

 

ピアノ室内楽・伴奏科の受験は、

違った意味でソロとは違う大変な面がある。

 

受験曲は、ソロ曲だけでなく、

当然、室内楽曲もいくつか演奏しなければならない。

 

 

ソロは、ひとり勝負だが、

 

室内楽は、まず受験に同伴し、演奏してくれるメンバーを集め、

その日を確約しなければならない。

 

しかも私は、デュッセルでのビザ申請の資格が無いので、

受験日まであくまでシュトゥット住み。

 

考えれば1秒でどうしよう(;゜ロ゜となるところだったが、

シェンク先生の愛は、半端ないものだった。

 

”安心しなさい。受験に必要なメンバーはこっちで揃えといてあげる。

だから、今からひたすらプログラムに取り組みなさい” と言うのだ。

 

つまり、先生は、デュッセル大の現役ドイツ人学生に

日本人で受験希望の子がいるから、と声を掛け、

 

私の受験メンバーとして、二人の予定を抑えてくれたのである。

 

 

どこの誰かも分からないアジア人に

快く付き合ってくれることになったドイツボーイ達は、

 

外国人にも友好な心優しいクラリネットと

ガルシアガルシアのような髪型のチェロを専攻する学生だった。

 

私にとって室内楽受験は、

先生の手解きや厚情がなければ、絶対に無理だったろう。

 

こうして

シェンク先生のVorspielは、YES・NO(Ja・Nein)カードを

一生懸命作った想いが、一応届いた形にはなったけれど、

 

これは決して、合格の確約ではない。

 

試験官は、シェンク先生ひとりでもない。

試験当日の演奏が、合格の点数に満たなければ、終わりだ。

 

 

シェンク先生が他に助言したのは、ドイツ語検定資格のことだった。

 

シュトゥットと違い、

デュッセルの入試には、ドイツ語B2以上の言語資格が必須。

(これは州によって様々)

 

半年の間に、規定の何百時間の語学学校を受講し、

最後の修了試験を突破しなければならない。

 

受験日は、予備日のない一日の勝負。

 

ドイツ新幹線が止まって、当日の受験時に会場入りできなければ終わり。

なにか受け身で巻き込まれた理由があったとしても、

その時、受験できなければ、終わりである。

 

体調管理に気を付けつつ、事前入りの計画を念入りにし、

 

プログラムの準備と平行して、

入試までにB2検定資格の絶対取得の道が始まった。

 

この半年間、

友だち付き合いとかどうしていたのだろう。。。記憶が。恐

(゜_゜;)