1か月以上前、腰痛になる前に、3回目の本や雑誌やカタログの断捨離をしていました。

 

 

 

 

 今から15年以上前に購入した時計。

 

 ホンダF1の写真が載せられています。

 

 

 

 

 世界4か所の電波を受信できるワールドワイドソーラー電波時計。

 

 日本2か所(福島、佐賀)、アメリカ(デンバー)、ドイツ(欧州)。

 

 このページの中から2本購入しました。

 

 世界で受信できる電波時計は海外では使いづらい、電波はほぼ受信できないことが分かりました。

 

 電波を受信できないのに現地時間に合わせるのが面倒。

 

 でも日本で使うには完ぺき。

 

 15年以上たっても電池交換の必要はなく時刻も秒まで正確。

 

 そしてカッコいい。

 

 

 

 

 これも15年以上前に購入した時計。

 

 カシオは海外6か所の電波受信が可能です。

 

 日本2か所、イギリス、ドイツ、アメリカ(デンバー)、中国。

 

 海外でも使ってみましたが、 やはり日本以外ではほぼ受信しませんでした。

 

 

 

 

 このページの中から1本。

 

 数字や文字が大きく読みやすく、老眼になった今でも問題なく使用できます。

 

 海外では電波は入りませんが、海外モードへの切り替えがボタン1つでできるので海外でも使いやすく重宝しています。

 

 軽く、文字が読みやすく、ソーラー電池、電波時計、気温や気圧が分かり、長距離線の機内の気圧や、出張先のアジアの台風や天気の変化が分かりやすく便利です。

 

 他にも同じような世界6か所受信のカシオソーラー電波時計をもう1本持っていますが、そちらは文字が小さくて老眼では眼鏡をはずさないと読めません(><)

 

 そして最近、カシオの大きな液晶文字盤のプロトレックが廃盤になるという噂を聞いて、人生最後の?(カシオ)時計を追加購入しました。

 

 カシオは、液晶多機能時計はアップルウォッチや類似品の中韓米品にシェアを奪われているので、今後はデジアナ品を強化するようです。

 

 安いと思っていたカシオのプロトレック、15年以上経つ今では定価で8万円以上していて驚きました。

 

 ・・・・

 

 引越し前後の断捨離時に、30本以上あった日本では知名度の低いブランドの主にクオーツがメインの時計、半数以上を処分しました。

 

 一部はメルカリ、一部はハードオフ、一部は部下にただであげたり格安(定価の10分の1以下)で譲ったりしました。

 

 日本では有名ブランド以外はほぼ値段が付かないので、ちゃんとした欧州ブランドのほぼ未使用品でもほとんど値が付きません。

 

 倒産する前のオリジナルのドイツ製LACO手巻き、Alpina、Edox、Reimond Weil、Longines、Universal Geneve、Review Thomen、Bulova、LIP、Frederic Constantなどなど、大半は安い価格ほぼただ同然で手放しました(^^)

 

 今回のカシオが人生で最後に買った時計になるかもしれません(^^)

 

 

 

 

 日本で唯一世界的シェアが高い工業製品のソニーの画像半導体。

 

 1990年頃までは世界シェア90%以上、2025年の現在でも世界シェア30%以上です(2位はサムソン、3位は中国)。

 

 日本人としてそんなソニーを応援するために、スマホとデジカメはソニー製品を買い続けています。

 

 実はパソコンも15年以上前まではVAIOを買い続けていたのですが、ソニー時代の最後の頃のVAIOは耐久性が最悪になって、購入するのをやめてしまいました。

 

 携帯電話もコンデジもソニー製の操作性や耐久性は決していいとは思わないのですが、むしろ悪い方だと思いますが、半導体は世界一で応援したいのでソニー製品を買い続けているのです。

 

 一眼レフ高級カメラはカメラ趣味でもなく重いので買うつもりはありません。

 

 デジカメもサムソンに追い上げられてソニーのシェアを落としていますので、購入するなら日本メーカーのブランドをお願いします(^^)

 

 

 

 

 実質的に会社が終わってしまったONKYO。

 

 今もブランドは生き残っていますがライセンスだけの全く違う会社になってしまっています。

 

 そんなオンキョーのミニコンポ。

 

 30年ほど前に30万円ほどで購入しました。

 

 価格を考えると音は素晴らしくいいので、アンプとCDとスピーカーを残して、カセットデッキとAM/FMレシーバーを中古屋さんにタダ同然で手放しました。

 

 こんな品質のオーディオが適価で購入できるチャンスは今しかないと思い、まったく同じアンプとCDプレーヤーの程度のいい中古品をもう1セット購入して予備として保管しています(^^)

 

 もし戸建てに移住することがあれば、スピーカーを購入し、別の部屋に置こうと思います。

 

 

 

 

 今はリビングにこのセット、自室(書斎?)にDENONの小さいミニコンポ、そしてCD・カセット・USB・SDカードの持ち運びラジカセを置いています(^^)

 

 でも実際に音楽を聴いているのは自室のミニコンポが一番多いです。

 

 

 

 

 マランツのすごく詳細に分けられるグラフィックイコライザーを持っていたのでカタログを持っていました。

 

 しかしどうも音が好きになれなかったので前回の引越し後の断捨離時に買い取り業者に売却しました。

 

 私が持っていたオーディオの中で唯一まともな価格で売れたものでした。

 

 と言っても新品同様で、新品の1/10くらいの価格でしたが。

 

 という訳で、このカタログは処分します。

 

 上に紹介した他のカタログは取っておきます(^^)

 

 つづく・・

 

 

 

 

**本ブログは2015年4月7日にみんカラに投稿したブログの改行、リンク切れ等を修正したものになります。

 

**最後に追伸を書きました。以前この記事を読まれた方はご興味があれば最後だけお読みください(^^;;

 ・・・・

 Mr. K、ミスターKこと片山豊氏・・





 Zカーの父とも言われ、アメリカで240Z、

 ダッツン(DATSUN)、

 日本車を広めた立役者です・・

 もちろんそのお名前は存じ上げておりましたが、アメリカにも日産車にもそれ程詳しくない私は、それ以上の知識はありませんでした・・





 戦前に慶応大学を出て、親戚である日産創設者の鮎川氏の経営する日産に入社・・

 大学時代には北米貨物船の乗組員としてアルバイトし、北米を数か月見て歩いた・・

 戦時中には満州に赴任し、戦争が激しくなる前に満州への再赴任を断りそのまま終戦・・

 その後、日産の広報などを担当し、1960年に北米日産に赴任・・





 後の日産社長になる石原氏が推し進めるNYを本社とする日産の販売方針(総合商社経由)に対抗して、カリフォルニアからディーラーを一つ一つ訪問し、510ブルーバードを売るのに成功し、

 北米DATSUN販売の基礎を作り、その後に出た240Zで北米を席巻し、のちに、Mr.K、Zの父と呼ばれるようになります。




 片山氏の独自のディーラーを直接回る販売方法が成功し、二代目北米日産社長になります。

 二代目と言っても、初代はNY本社で社長の石原氏は東京にいたわけで、実質的には北米日産を立ち上げ、成功させた初代北米日産の社長なわけです・・




 片山氏のその後の動向はWikiや関連Web、書物でも読んで頂くこととして・・

 私が片山氏をすごいと思った大きな理由の一つは、片山氏は1909年生まれ、、

 つまり、北米に渡り、ディーラーを一軒一軒売り歩いたのが、51歳の時からなのです!

 51歳でアメリカに渡り、本社の方針にも対抗して、今の全米に日産車を広め、1977年まで17年間、北米日産の社長を務め、現在の日本車の地位を確立したのです!





 そして私がごく数日前に知った人物・・

 Mr. Raymond Albert Kroc、Ray Kroc・・

 マクドナルドを全世界に広めた初代マクドナルドフランチャイズの社長です・・





 彼は、ミルクセーキを作る機械の営業マンとして全米を回っていた1954年、カリフォルニアの地方都市でハンバーガーショップを経営していたマクドナルド兄弟と出会います・・





 そしてその効率的な調理システムに感心し、マクドナルドのフランチャイズ権を手に入れ、

 1955年に初めてのフランチャイズのマクドナルドレストランを開きました・・

 そのとき彼は52歳・・





 その後、彼が引退する1984年までの30年間で、世界34か国で8300店舗のチェーンに広げました・・

 ・・・・

 私は、今まである事情で少年時代にやりたかった仕事には就けなくて、その後、何の計画性もなく、行き当たりばったりで、一部自暴自棄気味に長年生きてきましたが、、

 ある時、自分の年齢と立場にびっくりして、呆然となったことがあります・・

 これからの人生どうして生きていこうか、と・・





 しかし、この片山氏やMr. Ray Krocの業績は、50歳過ぎから始まったのですね・・

 それまでとは違うことに、50歳過ぎで取り掛かって十数年かけて成功させたわけです・・

 もちろん、史上最も経済的に成長していた50年代から70年代のアメリカと、

 今の停滞して衰退気味の日本や先進国、背景は違うでしょうが、

 この2人の業績を見て、何だか元気が出てきました・・

 きっと今の時代でも、我々にできることはあるはずだと・・

 退屈した、疲れた、時差ボケだ、などというのは言い訳かもしれない、と・・

 ・・・・

 まだ月曜日のお昼過ぎなんで、もうすこし仕事を頑張ろうっと・・(^^)

 @Texas州の州都Austinにて

 ・・・・

 

 【追伸】

 

 このブログの記事を書いてから10年が経ちました。

 

 テキサスの州都、Austinに出張していたホテルの部屋で、月曜日の朝にさらっと書いた記事でした。

 

 私も2020年からはコロナで自宅勤務。2025年からほぼ早期引退で社会人生活もほぼ終了になります。

 

 思い返してみたら、引退準備の2023年頃までは社内の立場もほぼ変わらず、2015年までにやってきた仕事、世界中(中韓を除く)の顧客とのビジネス再開、新規開拓、ビジネスの拡大、をさらに確固としたものにしてきただけでした。

 

 2010年に民主党円高で前勤務先が倒産し失業、2011年に新勤務先が震災に被災、そのあとにようやくビジネスを回復させることができ、それを安定させることができた2015年。

 

 個人的な経済状態は、新勤務先ではボーナスも退職金もない不安定な雇用状態で、当初4年ほどは給与も前勤務先の半額程度の待遇でしたが、それから10年でようやく老後の生活ができるだけの余裕ができました。

 

 振り返ってみれば、思えば個人的には波乱万丈の、苦しいけど退屈しないような、社会人生活でした。

 

 幼いころからなりたかった職業には就けませんでしたが、その点を除けば、やれることはやった、やり残したという思いの無い、悔いのない社会人人生でした。

 

 いまは心安らかに、今後の残りの人生を悔いなく充実させることを考えています。

 

 

 

 

 

 大学生の頃から、将来買うかもしれない興味のある車のカタログを貰っていました。

 

 

 

 

 1980年代の終わりに発売された、いすゞ ジェミニ ZZ DOHC ハンドリングバイロータス。

 

 

 

 

 当時流行っていたスポーツハッチやスポーツセダンの中で、小さく、控え目で、上品で、上質なデザインと内外装に憧れました。

 

 シックな濃紺にゴールドのストライプ。

 

 当時、自動車評論家の徳大寺有恒さんが、

 

 この配色デザインのアイデアは、オリエントエクスプレスからヒントを得たものではないか、

 

 イギリスの皇室のお召列車のデザインにも似た上品なカラーだと言っていました、。

 

 

 

 

 まさにオリエントエクスプレスのカラーとストライプ。

 

 

 

 

 後年、と言ってもそのわずか数年後に、英国のYork鉄道博物館で皇室お召列車の車両を見ましたが、まさにこのような英国風のデザインでした(写真はオリエントエキスプレスです)。

 

 英国車と英国ファッションに詳しい徳大寺さんの知識には脱帽しました。

 

 

 

 

 そして当時流行りのスポーティーな日本風内装の国産車や、VIP風の日本風贅沢のおじさん国産車と違って、シックで上品な内装。

 

 

 

 

 シンプルで上品なインパネとMOMOのステアリング。

 

 シックな色合いのレカロシート。

 

 

 

 

 濃いグリーンの内装とゴールドのピンストライプ。

 

 ゴールドのBBSメッシュホイール。

 

 ピアッツァのBBSの鍛造ホイールは驚くほど軽く、ハンドリングの軽快さが通常の鋳造ホイールと全く違いました。

 

 

 

 

 濃紺のボディーカラーに上品なジウジアーロのスタイリング。

 

 個人的にはスタイルはセダンが好きでした。

 

 

 

 

 ハッチバックも派手過ぎずシックなスタイル。

 

 

 

 

 上品で明快でスポーティーなインパネ。

 

 

 

 

 すべてにおいて控えめで上品なテイストでの演出でした。

 

 このカタログを見ているとバブル絶頂期の芳潤な文化と、

 

 自分の当時の生活と環境を思い出します。

 

 憧れの車でしたが、いつかは会社を辞めて海外に留学にでも行こうと思っていたので購入できませんでした。

 

 実際にはターボ好きなのでイルムシャーターボが自分に向いていたと思いますが、この内外装と上品な佇まいに憧れました。

 

 このカタログは捨てずにとっておきます。

 

 

 

 

 

 ある日の昼御飯。

 

 

 

 

 こんなカップ麺を食べました。

 

 

 

 

 ヨーカドーで買った、

 

 7&i チリトマト味ヌードル

 

 だそうです。

 

 

 

 

 トマトっぽいかやくと具と粉末スープが入っています。

 

 日清のチリトマトヌードルが発売されたのが私が学生時代の1980年代前半。

 

 東京出身のイタリアかぶれ、もとい、イタリア好きの先輩が好んでよく食べていました。

 

 その先輩は、インテリ家庭の出身で進学校の出で、何の因果か私の入った関西のFラン大学に流れて来られたのでした。

 

 その先輩は、大学の夏休みや就職した後にもヨーロッパやイタリアによく旅行に行き、私に絵ハガキを送ってきていたことを思い出しました。

 

 もう数十年も昔の話です。

 

 

 

 

 熱湯を入れて3分。

 

 

 

 

 メーカーはカップスターのサンヨー食品。

 

 

 

 

 美味しそうに出来上がりました(^^)

 

 具も格安PBブランドとしてはまあまああります。

 

 

 

 

 かき混ぜたらこんな感じ。

 

 

 

 

 トマト風味の美味しいカップ麺です。

 

 100円前半の価格を考えれば☆4.5/5(^^)

 

 ・・・・

 

 上で述べたイタリア好きの先輩、就職後にも長い休みを取ってイタリアに行き、食べ歩きをして、結婚式もイタリアの教会でされたようです。その先輩には在学中はいろいろお世話になりました。男性の先輩です。

 

 そんな学生時代から10年もたたないうちに私は英国で生活をするようになり、現地で仕事をし、15年後にはヨーロッパ各地を旅する稼業に就くとは、その時は夢にも思いませんでした。

 

 イタリアのミラノやローマ、シシリー島を仕事で訪問するようになって30年。

 

 私ももうほぼ引退です。

 

 

 

 

 

 1か月前に3回目の断捨離をしていました。

 

 その後、腰痛になって1か月寝込んでいるわけですが・・(><)

 

 

 

 

 その時に見つけて断捨離しなかったポスター。

 

 1987年から1993年までのキャメルF1サポートチームのポスター。

 


 

 

 RJレイノルズのキャメルブランドは1987年のロータスホンダから始まりました。

 

 1987年ロータス99T、中嶋とセナのマシンです。

 

 1990年までサポートしました。

 

 

 

 

 1990年から1993年までベネトンをサポート。

 

 シューマッハが活躍した時代です。

 

 

 

 

 1991年から1993年まで、ウイリアムス・ルノーの全盛期でした。

 

 

 

 

 

 ラルースやその他のチームのドライバーもサポートしていました。

 

 セナと中嶋のロータスから、マンセルやシューマッハの全盛期を支えたキャメルでした。

 

 

 

**本稿は、2012年3月3日に投稿した記事を2025年にアメブロに転載した記事の、消えた写真、改行などを修正して再投稿したものになります。**


 90年代中頃に帰国してから今に至るまで、私の仕事は出張が多く、その出張は予算の関係もあり(笑)大抵1人で行われます。いわゆる海外新規市場開拓というやつです。
 それまで社内で誰も知らない誰も行ったことのない会社に対して売り込みをかけます。1人で会社を調べ、1人でアポを取り、1人で場所を調べ、1人でホテルを予約し、1人で地図を見て、1人で運転して出かけます。





 ここ15年以上はハイテク関連商品の技術営業ですのでアプローチから契約がスタートするまで数か月から1年以上もかかります。仕事が順調に行って、ふと我に返った時、その場で喜びを分かち合う同僚もなく、話し相手もなく、たった1人です。
 普段はホテル滞在中も合えず仕事をしているのですが、そんな時だけは、自分へのご褒美に1人でゆっくりカフェでお茶(コーヒー)を飲んでケーキを食べたりします(笑)。

 秋口から冬にかけて、コートの襟を立てて早足に街中を歩いている時、今日の仕事も満足に行った時、頭の中にふと浮かんでくるメロディーがあります。。





 Policeのヴォーカル&ベース担当のスティングはNewcastle Upon Tyneの下町に、牛乳屋さんとヘアドレッサー(美容師)の4人兄弟の長男として生まれました。高校は勉強のできる子が集まるグラマースクールに進学しました。高校時代からライブハウスに出入りし、ジミヘンやクリームなどのバンドを見ていました。高卒後はバス会社、建設会社や税務署職員として働いた後、教員養成学校に進学し、England北端のCramlingtonという田舎町の小学校講師として2年間勤めました。
 

 

 

 

 


 Stingの生まれ故郷、Newcastle uopn TyneのWall End地区周辺です。

 北部英国に生まれ育ったStingにとって、NYは英語は通じても全く別の国です。
 私にとって、言葉は通じても、街も道も知っていても、結局はよその国、友人も知人もいない、他人の文化であるロンドンなどを歩いている時、ふと我に返ると、この曲が頭によぎるのです。





Englishman in New York / Sting

イングリッシュマン・イン・ニューヨーク / スティング

I don't drink coffee I take tea my dear
I like my toast done on one side
And you can hear it in my accent when I talk
I'm an Englishman in New York

コーヒーは飲まない、紅茶を飲む
トーストも片面焼き(*1)
アクセントでもわかるように
俺はNYの英国人(イングランド人)

See me walking down Fifth Avenue
A walking cane here at my side
I take it everywhere I walk
I'm an Englishman in New York

5th Aveを歩くのを見てもわかるだろ
ステッキを持ってるんだよ
どこに行くのにもね

I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York
I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York

俺はNYの英国人
俺は異邦人、合法的な異邦人
俺はNYの英国人

If, "Manners maketh man" as someone said
Then he's the hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

「マナーが人を作る」って誰かが言ってたけど
じゃあ彼がそのヒーローだ
無知と嘲笑に晒されたって
なんて言われようと自分らしくあればいい

I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York
I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York

俺はNYの英国人
俺は異邦人、合法的な異邦人
俺はNYの英国人

Modesty, propriety can lead to notoriety
You could end up as the only one
Gentleness, sobriety are rare in this society
At night a candle's brighter than the sun

控えめさや礼儀正しさも悪く取られることもある
結局自分自身でしかないのだから
穏やかさや礼節さはこの国ではまれなことだけど
夜はろうそくの火は太陽の日よりも明るい

Takes more than combat gear to make a man
Takes more than a license for a gun
Confront your enemies, avoid them when you can
A gentleman will walk but never run

男(人)になるのは戦闘道具や銃の免許よりも
敵に出会ってもできるだけ避けよう
紳士は歩くもの、決して走らないものだ

If, "Manners maketh man" as someone said
Then he's the hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

「マナーが人を作る」って誰かが言ってたけど
じゃあ彼がそのヒーローだ
無知と嘲笑に晒されたって
なんて言われようと自分らしくあればいい

I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York
I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York

俺はNYの英国人
俺は異邦人、合法的な異邦人
俺はNYの英国人

(訳責44love)





 私が英国に初めて住んだとき、学生ビザでしたが、市役所に行き外国人登録を行いました。その名称がAlien Registration。外国人(foreigner)ではなく「異人」ですね。

 基本的に日本で言う食パンみたいなパンを食べるのは英国や米国など英国文化圏だけで、日本には戦後の米国による占領でもたらされたようです。英国では厚さ10mm未満の極薄の食パンを本来は(テフロン加工ではない)フライパンで焼いていたので、片面焼きなのです。米国はポップアップトースターで焼くので両面焼き。少なくともこの曲が出た80年代後半まではそうでした。
 だから英国人はコーヒーでなく紅茶、パンは片面焼きなのです。

 翻訳と言うのは文化を知らないと単語を辞書で引くだけではなかなかできないものですね。
 英語の詩や歌詞というのは韻(rhyme)を踏むので、意味が若干ずれていたり、文法が違っていたりすることはままあります。

 実は、この曲は、同性愛者差別に苦しみ、NYに移住した英国人の作家、俳優、イラストレーターのQuentin Crispについて書かれたものだったのですね。
 本人がこのPVにも登場しています。
 エキセントリックな人々を許容する文化のある英国でも、同性愛は60年代までは違法で、80年代でも根強い差別があったのですね。だからNYでは彼は I'm a legal alien なのですね。

 

 



 この曲は文化の違う異国に暮らす孤独を歌っていると感じるのです。
 だから今日も出張中に見知った異国の街を1人で早足で歩く時、この曲が頭の中に流れてくるのです。
 

 

 

 

 

 1か月前に起こった腰痛でずっと横になっています。

 

 本来は関西と実家に3週間近く、そして今月の中頃から沖縄の離島に1週間ほど行っている予定でしたが、自宅の畳の上で横になっています(^^;;

 

 

 

 

 そんな時間にネットサーフしていて、数十年前から欲しかったミニカーを購入しました。

 

 1987年、ウイリアムズホンダ、FW11b、ネルソン・ピケモデル。

 

 私がF1にハマった最初のモデルです。

 

 レッド5のナイジェル・マンセルモデルでもいいのですが。

 

 

 

 

 隣に飾られているのは、1987年ロータス・ホンダ99T、アイルトン・セナモデル。

 

 中嶋悟が日本人初めてのF1フル参戦したロータス99T。

 

 エンジンはホンダパワーで当時最強でしたが、マシンは相当ひどかったようです。

 

 あのセナをもってしても、高速のシルバーストーンで、1位、2位のウイリアムズ・ホンダのマンセル、ピケに周回遅れにされた3位。中嶋は2周遅れで4位。

 

 その隣は史上初の16戦15勝を達成したマクラーレン・ホンダ MP4/4のセナモデル。

 

 

 

 

 私が初めて現場でF1を見た1987年の鈴鹿。

 

 その後私は、鈴鹿、ニュルブルクリンク、ホッケンハイム、スパ、マニクール、モナコ、モンツァ、シルバーストーン、オースチンでF1を見ました。

 

 

 

 

 ターボパワーで地面にリアを擦りつけながら火花を散らして爆走していた1987年のF1カー。

 

 

 

 

 ホンダパワーがありながら、車が古くてかつアクティブさすが不良品でセナと中嶋が苦労したロータス99T。

 

 

 

 

 その隣の隣は1982年、83年にラリーで無敵だったアウディー・クワトロの1982年アクロポリスラリー優勝車。

 

 

 

 

 1982年のアクロポリスラリー。

 

 グラベルの砂ぼこりがすごい(><)

 

 優勝したアウディークワトロ以外に、日産の名車とサファリラリー3連続優勝のシェカ・メッタ、シルビア240RSラリーカー、フィアット131アバルト、ランチアラリー037、初代フォードエスコート、オペルマンタ、そして一番最初にシトロエンVISAのラリーカー、ルノーMaxi5ターボなど懐かしい当時の名車が見えます。

 

 

 

 

 2002年ルマン優勝車のアウディ。

 

 

 

 

 この頃はルマンもフォローしていなかったのですが、アウディーが3年連続制覇したのですね。

 

 

 

 

 トヨタは2018₋22年にルマンを5連勝したのに日本の大手マスゴミは一切報道しませんでしたね。

 

 2023年からはトヨタがあまりに強すぎるためレース直前のルール変更などで不利になったようですね。

 

 自分たちが負けるとすぐにルールを変更するヨーロッパの自動車業界ですw

 

 

 

 

 

 私が小学生に上がる前まではまだ日本のメーカーのミニカーはヨネザワのダイヤペットの1/43くらいのミニカーしかなかったのです。

 

 1/64サイズのミニカーはイギリス製のマッチボックスでした。

 

 

 

 

 私が小学2年生くらいの時に、トミーのトミカが出ました。

 

 やっと出た知っている車のミニカー。

 

 1960年代のマッチボックスは車種は欧州車ばかりでした。

 

 

 

 

 当時大ヒットして街中で沢山走っていた510ブルーバード。

 

 

 

 

 子供心に知っている車のミニカーで遊べるのが楽しかったです。

 

 

 

 

 まだホワイトリボンが付いていたタイヤでしたね。

 

 

 

 

 端正な4ドアセダン。

 

 

 

 

 アフリカのラリーでも活躍しました。

 

 DATSUN510。

 

 

 

 

 2ドアクーペはカッコいい。

 

 1970年に発売されたトミカの第1弾は、

 

 510ブルーバードSSS 3ドアクーペ

 初代コロナマーク2 ハードトップ

 クラウンスーパーデラックス

 クラウンパトカー

 トヨタ2000GT

 フェアレディーZ 432

 

 日産とトヨタばかりですね。

 

 今でも残っている車名はクラウンとフェアレディーZの2車種。

 

 ちなみに上のトミカの写真はオリジナルの日本製のトミカではなく、復刻版トミカの中国製ミニカーと箱の写真です。

 

 ネットから拝借しました。

 

 

 

 

 

 ある日の昼御飯。

 

 

 

 

 こんなカレーを食べました。

 

 松屋 創業ビーフカレー

 

 だそうです。

 

 価格を見ると1つで435円?、レトルトカレーとしては結構いい値段です。

 

 

 

 

 松屋のカレーですが、製造は新宿中村屋のようです。

 

 

 

 

 中村屋、美味しいレトルトカレーの会社です。

 

 

 

 

 アルミ袋は普通のレトルト。

 

 新宿中村屋のレトルトカレーと同じです。

 

 

 

 

 自宅に常備している松屋の牛めしの具プレミアム仕様。

 

 1食500円弱。

 

 これをカレーに添えて、カレー牛にします(^^)

 

 

 

 

 まずはカレー。

 

 こんな感じです。

 

 

 

 

 牛めしの具は、半分同居人に強奪されてしまいました(TT)

 

 

 

 

 松屋の創業カレーに牛丼の具1/2前盛り(^^;;

 

 カレーは牛肉をとけるくらいに煮込んであって、ちょっと酸味の利いたカレーが美味しかったです。

 

 私は数年前の横浜に住んでいた時代、松屋のカレー牛を時々食べていました。

 

 当時は価格も安く味も好みで重宝していました。

 

 今は価格も1.5倍以上になり、カレーの味も変わってしまいました。

 

 今回の感想は、カレーは細かく溶けた牛肉が沢山入っている贅沢な仕様でしたが、ちょっと私には味が濃すぎる(^^;;

 

 冷凍牛丼の具はプレミアムなこともあって?普通に美味しかったです。

 

 個人的には、牛丼の具はリピートあり、創業カレーはリピートなしかな(^^)

 

 

 

 

 

 みんカラにも書きましたが、私が幼児の1960年代には日本製のミニカーはほぼ皆無でした。

 

 あったのは1/43近辺のサイズのヨネザワのダイヤペット(初代)だけでした。

 

 1/64レベルのミニカーは英国製のMatchboxだけでした。

 

 

 

 

 当時大阪の郊外の個人商店の玩具屋さんでお小遣いでミニカーを毎月数台買っていた幼児の頃から小学生低学年。

 

 マッチボックスについてはみんカラで私が持っていたミニカーの車種についてや、英国Matchbox社の工場や歴史など、英国のトラックやバスのメーカーの歴史や経緯なども記事にしました。

 

 

 

 

 残念ながらそれらの記事はみんな消えてしまっている訳なのですが、

 

 簡単に言うと、イギリスの複数のバスメーカーは、すべてLeyland Busに統合されて、それでVolvo Busに吸収され、最期にはブランドがなくなった。

 

 

 

 

 イギリスの数多くのトラックメーカーは、すべてLeyland Truckに統合され、Leyland TruckはオランダのDAFに吸収され、Leyland DAFはアメリカのPackardに吸収されLeylandのブランド名はなくなった。ただし、英国の会社ブランド名だけはLeylandが残り、オランダの会社とブランド名だけはDAFが残った。Leylandのブランド名は、かつてのインドの合弁会社、Ashok Leylandとして名前だけは残り、資本関係は全くなくなった(Leylandの会社自体がなくなったから)。

 

 ・・・・

 

 小学2年生の時にトミカが発売されました。

 

 その当時、初代チェリーがありました。

 

 

 

 

 今まで見たこともない(ビートル以外)欧州車と一部のアメ車のみの英国のマッチボックスは、幼児だった私には全く物足りないミニカーでした。

 

 小学生になって2,3年目にやっと自分の知っている日本車のミニカーを買うことができるようになって、すごく嬉しかったことを覚えています。

 

 

 

 

 初代日産チェリー。

 

 父の初めての新車でした。

 


 

 

 裏面もこんな感じで細かくマフラーなどが書いてあって、イギリス製のマッチボックスより精緻なのを7歳なりに感動しました。

 

 父の初めての新車でした。

 

 父がカタログを車屋さんでもらってきて、見せてもらってワクワクしていたのを思い出します。

 

 

 

 

 1970年発売の日産初のFF車。

 

 1200CC、L4、OHV、SUツインキャブ、80馬力、9.8kgm、670Kg。

 

 タイヤは12インチ。

 

 

 

 

 父が乗っていたのはGLグレードでしたので、もう少し馬力は低かったと思います。

 

 新車のビニールの匂いが嬉しかったのを思い出します。