薬を断薬した私は心に傷を重ねていた。


その時、担当の精神科医と私の人生のことを分かり合いたいとしたためた手紙は読んではもらったが返された。

そこにはフリースクールであった事件と心の痛みを綴られ、またなぜか邦楽や洋楽の歌詞まで書いていた。そんな幼い手紙に統合失調症の再発を案じたのか、勝手に統合失調症の薬を増やされ、私たちの信頼関係は崩壊した。


薬を辞めていいことなど一つもなかった。

仕事は多少のストレスが伴うもので、一緒に働いていた従業員だって時にイライラしたりすることもあるだろう。私はそれに過剰に反応して私が嫌いなんだと被害妄想をし逆に私がその従業員に対する悪口の独り言が出てしまい人間関係が崩壊した。

などなどで以下略


その3年あまり後に、病状がおかしいことを自分で理解した私は、主治医に相談し服薬を再開したが、断薬中に起きた様々な事件によって心の傷はさらに増え現実を恐れていた。

そのせいだろうか、初めて薬を服用し始めた頃は症状はすっかり落ち着いていたのに、再発後の再びの服用したら妄想も幻聴も完全におさえることができなかった。


統合失調症再発時のショッキングな事件の数々と障害者雇用でしか生きれないショックとそして友達さえ失った悲しみで、その現実を見ないようにした、というより直視できなかった私の目に、障害者雇用を始めてから和やかで忙しない会社の日常がぼんやりと映るようになり、そしていつの間にか、あの人が瞳の中に住むようになった。


ふと思い出したのは私がフリースクールを出たばかりの頃にリリースされた浜崎あゆみさんのアルバム曲、『Love song』。

「愛のない 人生なんて そんなの 生きる自信がない…」と力強く歌うけれど、その“愛”とはどんなものなのかどんな繊細な思いなのか歌詞に細かくかかれてなくて、私にはさっぱりわからなくてしばらく買ったばかりのアルバムをそのままCDの棚に置き去りにしていた。


 (私と比べて)華やかな人生を送る今の職場の社員の方々のキラキラした笑顔や談笑の声、仕事について話す真剣な声や眼差し。

それを、そっと自己防衛という透明な壁を作りながら自分とはかけ離れた世界として遠目で眺めてた。

そうして作った壁を境に夢(私にあったかもしれないドラマティックな人生と)と現実(失望しかない人生)が行き交うようなぼんやりとした思考の中で、ある社員さんの切なげな表情と声色で私の脳裏にそっと囁きた。

「大事な人がいますか?

 その人を大事に出来ていますか?…」

私「失ってしまう前に 優しくぎゅっと抱きしめて」

「失ったものはありますか?

 それは置いてきたものですか?

 後悔をしていますか?

 取りに戻る事ができたらと?…」

私「何故涙はとまらない」

と、Love songの歌詞を彼が(と私が)歌ってる夢を起きたままに見た。


彼は遠い人で、何か言の葉を交わしたわけでもないけど(?)

ただ、愛はこうやって自分の中に育てていくものだと知った。

浜崎あゆみさんの『Love song』を理解するコンテクストを持ち合わせていなかった私は、

自己の障害をオープンにして障害者福祉を頼り障害者雇用で働きはじめた仕事先で、ひとつふたつと何かを知った。