1927年昭和金融恐慌、1929年世界恐慌と続く経済危機はその後の日本の軍部台頭の引き金になった。

という話は通信制大学歴史科(中退)にいた私は何回も本などで読んだ話だ。

だけど、なんだかピンとこなかった。

恐慌の恐ろしさも貧しさも。

そんなピンぼけなことを言う私は、標準な家庭に生まれてお金に困ったことはなかった。

幼い頃から人に優しくあることを言われ

人を憎むとか妬むとか考えられない行為だと思っていた。


統合失調症になって社会的地位を失い、友達も恋人もいない私は、結婚していく人やキャリアを持つ人を羨ましがる感情を知った。そして追い詰められた心は人に必ずしも優しくなれなくて、喧嘩もよくした。

統合失調症の被害妄想の症状だったけれど。

今は症状は落ち着いていて冷静に考えられるようになった。


最近は、レシートを眺めるたびに高いなぁと思い、ストレスや利便性を求める贅沢と節約の間で悩む。

そして、リアルに心に響く。

「昔は新聞紙でお尻を拭いたのよ」という65過ぎの母の昔話が。そして祖母の時はもっと固い紙をつかったらしく

「一生懸命紙を揉んで柔らかくして使ったのよ」と。

それ、トイレいくたびにストレスじゃん。。


そして、親に経済的な支援を頼れなくなってきた今に、貧しさは人を追い詰めることを知った。


関東大震災の混乱でデマによって朝鮮人を虐殺したとか、その後の第二次世界大戦とか、

を思うと

今の便利さを無意味なものにしてはいけないと心に念じる。


さあ、統合失調症になって障害者になって障害者雇用でさらに下っ端の私はどう生きようか。

この呪われたように嘆きたくなる運命に、自分よりもうまく生きれた人から、お知恵や甘い蜜を分けてもらおうか。

そう思って働いてきた。


思い出す。

周りに興味関心が低く友達付き合いもあんまりしない情報も得ない私に、

ゲームを持ち込んだり、カブトムシを取りに行くのを誘ったり、CDを流したりして暮らしに潤いを与えてくれていた兄のことを。

そうやって、兄から面白さを分けてもらってきた。