前回まで氷川女体神社の参道、本殿、摂末社(全12社)を見てきました飛び出すハート

 今回は氷川女体神社の文化財や見どころともいえる「近世の祭祀跡」などを見ていきましょうにっこり

 そして、氷川女体神社の次は、いよいよ氷川三社の残る一つの神社です 謎の氷川三社は解き明かされるでしょうか無気力

 



 「龍神社の案内板」さいたま竜神まつり会

 「龍神社」脇に設置

 案内板によると、「この龍神社には、さいたま市の竜伝説に因ん竜神様が御座(おわ)します。」とあります無気力

 

 以下、さいたま市のホームページでも簡単に書かれています無気力

 

「見沼田んぼのホームページ」さいたま市

 

 




 「氷川女体神社の文化財の案内板」

  埼玉の「正倉院」とも言われるそうです無気力

 以下が代表的なものですが、中世以降の宝物が多く収容されていますよだれ

 

「三鱗文兵庫鎖太刀」鎌倉時代中頃、北条泰時奉納刀

 

 

 

「氷川女体神社神輿」鎌倉時代

 

 


「牡丹文瓶子」最近の研究では13〜14世紀

 

 

 

 

 そして、氷川女体神社の見どころである「氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡」を見てみましょうびっくりマーク

 

 





 「氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡」

 先ほどの「見沼田んぼのホームページ」でもご紹介されていましたが、縄文海進が終わり、見沼となってから連綿と受け継がれてきた祭祀遺跡が、摂末社12番「宗像神社」の南側にありますびっくりマークにっこり




 「御船祭の竜神伝説(みふねまつりのりゅうじんでんせつ)残された見沼」案内板

 案内板によると、「とおいむかしから見沼の一番深い所に神輿を乗せた舟を繰り出し、沼の主の龍神を祀るために「御船祭」というお祭りが行われていました。」とあります無気力


 しかし、江戸時代の享保12年(1727年)、見沼の干拓により、古来から行われていた氷川女体神社の御手洗瀬(みたらいせ:身を清める水場)である見沼に神輿を渡御させる「御船祭」の神事は、廃止せざるを得なくなりました驚き


 そこで、神事の形態を改め、鳥居下の突端に柄鏡形の土壇を設け、その周囲に池を配し、祭祀の場として、享保14年(1729年)、名称を「磐船祭」として復活しましたが、江戸時代の終わりとともに祭も廃止となりました驚き


 現在は平成17年(2005年)から「祇園磐船竜神祭」として再復活し、毎年5月4日にお祭りが行われるようですにっこり

 

  そして、氷川女体神社から少しワープ笑 しますが、古来行われていた「御船祭」跡が、神社から南に2kmほどにある「芝川第一調節池」の建設中に発掘されています驚き


 「四本竹遺跡」という遺跡で、なんと「790本を超える」お祭りで突き刺したとみられる竹や祭礼の銭などが発掘されたようです 伝承だけではなかったのですねニコニコ








 「芝川第一調節池」

 首都圏にこんな空間があるとはニコニコ

 絶景ですねニコニコ




 「芝川第一調節池」案内板 埼玉県さいたま県土整備事務所

 大変な暴れ川だった「荒川」も今では調節池のおかげで、私たちの豊かな生活が守られているんですね無気力


 続いて、江戸時代の1629年〜1727年の「溜井」の時代、見沼が干拓される前まで「八丁堤」という堰き止め堤防があった場所付近に鎮座する神社と現在の天皇もゆかりのある施設を見てみましょう驚き さらに、氷川女体神社付近に在る縄文遺跡も見てみましょう驚き


 早く見たいところかもしれませんが、今回はこの辺でおいとましますニコニコ

 それでは次回お楽しみに飛び出すハートびっくりマーク