り子です。
昨年の10月
えっと2019年の秋のこと。
24年振りにアメリカ旅行に行ってきたの。
デンバー空港
この頃、わたしね、心屋塾マスターコース受講中で、毎日浮かれてた時期。
でも卒業がちょっと近くなってきて、心屋塾ロスの隙間風が心にね、ほそ~くスゥ~~っと吹き始めた時だったの。
講座では、自分が嫌だと思ってた「こんなところ」「あんなところ」に 『あぁ、それでいいんだぁ』 って気づく機会が何度もあった。
涙も出るし、どんどん自分が軽くなる気がした。
でもね、それね、まだ自分に定着したわけじゃなかったんだよね。
責め子のわたしにとって、素晴らしい体験だったんだけど、日常にまでそれを持っていくのはまだまだ難しい事だったみたい。
はしゃいでるけどね、フリ、なんだろうなぁ
学生時代を思い出すのかな。
旅のメンバーは女性が4人男性1人。(旦那やね)
私は、女性の中で、早速「反応」していたの。
ひとりで勝手にポツンとなっちゃう。
人と歩調を合わせられる時間が短い。
話題を持続できない。
「私といて、楽しいかな?」
「不快な気持ちにさせてないかな?」
誰でも普通に持つ思いだと思うんだけど、わたしの場合、これが極端なのね。
常に自分を見張り続けて、今を楽しむ感覚がすごく少なくなっちゃうんだと思う。
その奥底は、愛されてて「すでにある」んじゃなくて、
「私は価値がない」を前提にしてるから、根っこは恐怖感なんだ~
ガチガチ
そんな中、ナビゲート役の女性とみんなは打ち解け始めて(と、私にはそう見えた)
あれ、わたしまた出遅れちゃったみたいだな
ってなった。
いやいやちゃうちゃう。壁つくってんのはわたしや~。
それも微妙に自覚がある。
打ち解けられなくって構えちゃう自分。
どうしたらみんなと一緒になれるかなって、自分を見張って作ろうとする。
今からすると、それがもう壁なんだろうけどね
まぁ、しょうがないんだよねぇ~~初心者だから。
このアメリカ旅は、アメリカ在住のSさんが、いろいろ手配してくれて、オプションでネイティブアメリカンのワークをナビゲートしてくれることになってたの。
彼女も、ご家族のことで、うつを患ったことがあって、そのご縁で、ネイティブの「長老」のお話を聞いたり伝統儀式に参加を繰り返して回復され、みんなももっと軽やかに生きられるように情報を発信しようとしている方だった。
Sさんはみんなを、いろんな場面で褒めてくれるの。
そうだね、そうだね、って話を聞いてくれるみたいだった。
で、そんな時、わたしの癖が出てくるの。
「みんなは、できる、わたしは、できない」
「だからわたしは、ダメな人」
今思うと、♬ だ~れもそんなこといってません、だよねぇ~。
褒められて、認められたいんだね、わたしって。
で、自分で壁作っといて、接点持つのが下手なもんだから、みんながうらやましかったんだね。
でも、それをどう伝えていいのかもわからず、そもそも伝えるという発想もなく。
(本音を伝える、を忘れてる)
ただポツン、とちょっとグループから外れて、「あぁ、悲しいな」って気持ちを味わってたの。
その時間、自分を責めてたよねぇ~(´・ω・`)
実は、責めている時って、感情を味わい切れないんだよね。(主観だけど)
ただ、歩調が遅いだけなのに、わざわざ責める材料にする変態。
他の参加者さんは、一人で居られてかっこいいって思ってくれてたのに。(後で聞いた)
ほら~、みんな待っててくれてたじゃん。
日の出の光に感動して、涙を流す参加者さんたちと、微妙な距離をとるわたし、オイオイ
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もうね、もうね、前提が見せている現実、作り上げる現実は、ほんと、妄想!!
そりゃぁ、あんた、疲れるわ~~
アメリカを舞台に繰り広げられる小さな妄想の世界…
次回も、ほんと救われないけど、最後の話ではこのドM責め子が勇気を持って「本音を伝える」を遂行、結果どうなったか、また見てね~
な~~んもやってないっす(`・ω・´)ゞ