実は、
東日本大震災を経験した時、避難先から放射性物質がある福島に戻るのがとても不安だったんです。
なにが不安、怖かったのか?というと
つまるところ、「死」でした。
自分が死ぬこと、病気になって自由に生活できなくなること、
大切な人、子供が死んでしまうことが怖かったんです。
万が一、そうなってしまったら?
考えたくないくらいこわかったです。
ずーと心の片隅に放射性物質=死
というのがありました。
でも、こうして福島で暮らしていれるのは、
ふと、言葉が降りてきたからです。
「人の生き死には神様の領域」
(我が家で羽化したキアゲハ)❣️
あれをやっていれば、
これをやっていれば、
ここにいれば、病気にならない、死なない。
長生きする
安全
安心
これって、本当なのかな??
そもそも、
明日、生きていられる保証なんてどこにもないんですよね。
どこにいても、いろんな形で死はいつもあること。
放射性物質(被曝や病気)じゃなくても。
そう思ったとき、心が軽くなりました。
言葉にしてみると当たり前のことですが、自分のなかでハッキリと自覚していなかったのだと思います。
まだ、どうなるかもわからない「未来」に不安を持って、
「今」も不安に覆われて、
不安を解消するために生きるのは、何のために生きてるのか分からない、
だったら、今、
誰と一緒にいたい??
どこで何をしたいか??
を優先しました、私の人生は今回限りなので。
不安や恐れが、役に立つときもあります。
本能でしょうから。
でも、その不安や恐れの中身が一体何なのか??を、よーく観察してみると、
○この不安を持ち続けてもどうにもならない‥(自分の領域で)変えられない現実
○どっちにしても(どちらの選択をしても)不安はつきまとう
○不安は幻想だった。笑
なんてことがあります。
ならばどうするか?です。
ちなみに、
「観察する」というのは、出てきた気持ちや感情に対してジャッジしたり、押さえつけたり、平気なふりをする事とは違います。
むしろ、とてもニュートラルな視点になっています。
この視点になれた時、ふわっと心が軽くゆるんだ感覚になります。(頭ではなく感覚大事)
原因が曖昧で漠然とした不安に覆われたまま、物事の選択をすることもできますが、
どうしたらいいのかもわからないほど悩んでいたり、八方塞がりに感じていたら
ニュートラルな視点を得られたら楽になります。
自分の不安なことや怖いことを探るのは、
勇気のいることかもしれないですが、
私は、そのおかげで、
不安がベースだった心の中は安心がベースになって
古民家購入してカフェをオープンして、畑もあって、楽しく暮らせてます。
自分がしようとしている(している)行動の根拠はなんでしょう??
もし、不安や恐れがあって身動きができない、苦しいときは、
その中身を丁寧に自分に問いかけて「素直な」気持ちを聴いてあげてください。
ブロブ中の「?」の文章の問いかけをしてみてください。
その時は、
出てきた気持ちや感情に対してジャッジしたり、押さえつけたり、平気なふりを自分にさせないでくださいね。(笑)

