「データ=事実(ファクト)」の公式は致命的な勘違い
京セラ創業者として有名な稲盛和夫氏のエピソードの1つに、日本航空のデータ経営に関するものがあります。稲盛氏就任前の日本航空では、会計データやその他経営指標に関するデータを3ヶ月に1度しか確認していませんでした。稲盛氏は日本航空の経営幹部たちを集め「飛行機のコックピットにも計器がいっぱいついていて、それを全部みなければ安全に飛べないだろう。経営も同じだ」と叱ったそうです。必要な経営データを迅速に分析して行動を決定する ― 「コックピット経営」とよばれる経営手法を広く世にしらしめることとなったエピソードです。
このようなエピソードから、今日では経営判断や部・課・係の指針判断、あるいは日々の営業判断にいたるまで、データ分析の重要性は日本企業の中に浸透しはじめています。いわゆる「勘ピュータ」と揶揄されるような、個人の直感に基づく属人的で曖昧な意思決定の反省もあり、データに基づいた意思決定へトレンドが変化するのは自然な流れともいえます。しかしこのような流れの中で「データ=事実(ファクト)である」との誤解も生まれてきています。事業会社の経営層だけでなく、コンサルティングファームの若手コンサルタントの中にもこのようなデータ至上主義の罠に入り込み、成果を出せなくなってしまう人間がいます。
データは意思入れこそキモ
データとは解釈の余地を残すものの集合体です。特におちいりがちな罠に「因果と相関を混同する」というものがあります。有名な事例に「ビールと紙おむつ」があります。アメリカの大型スーパーで、利用者が何と何を同時に購入する傾向があるか調査したところ「ビールの購入者は同時に紙おむつを購入する確率が高い」というデータが発見されました。アメリカでは、若い父親が休日に車を出してスーパーにまとめ買いに来ることが多く、ビールと紙おむつを箱買いしていたのです。実際、紙おむつ売り場の隣にビールを置いたところ、売上は倍増したそうです。
「ビールと紙おむつを同時に購入する」という利用者の傾向から、購入履歴はお互いに関係を持っていることになります。ここではおそらく比例関係になるでしょう。このような比例関係にあるデータを発見したら、分析者は小躍りしたくなるほど嬉しくなるかもしれません。しかしビジネスでの応用においては、本当に重要なのはその関係の「解釈」のしかたです。このデータが「因果」の関係にあるのか、「相関」の関係にあると考えるのかによって、とるべき打ち手がまったく変わってしまうからです。
「因果」の関係とは、原因と結果の関係です。この例でいえば、「ビールが売れるから紙おむつが売れる」という関係になります。若い父親が「ついで買い」しているという実態を考えれば、この関係はおかしいと想定できます。因果関係は、例えばビールとビール用のおつまみの間などに成り立つものになるでしょう。もしもこの「ついで買い」の実態を把握せずに因果関係にあると解釈してしまった場合、ビジネスの打ち手は「ビールの大安売り(ビールで損しても紙おむつで儲けよう)」などになると思いますが、当然、ビールが売れても紙おむつは思うように売れないということになるでしょう。
「相関」の関係とは、単純に相互に影響しあっているということを示しているだけになります。ビールと紙おむつの間の正しい関係性です。
このように、同じデータをみてもその解釈の仕方は様々であり、ビジネスの打ち手はまったく異なってきます。もちろん、前提としてきちんとデータをおさえるということは絶対条件ですが、そのうえでの”意思入れ”こそがビジネスの最大のキモになるわけです。
現場には神がいる
冒頭に登場した稲盛氏は「現場には神がいる」という言葉も残しています。(オリジナルは弁護士の中坊公平氏の言葉です)むしろ稲盛氏は、京セラ・第二電電・日本航空それぞれの経営では一貫して現場至上主義者でした。それは「現場の直感」と「データ」が合わさったとき、初めてビジネス的な意味を持つということを知っていたからかもしれません。「ビールと紙おむつは若い父親のついで買い」ということは、日々レジにたっている人間ならすぐに気がつきますが、データだけをみている分析者は思いのほか気づくことができないものです。データからえた「仮説」に対し、現場には「得心」させてくれる神がいて、その2つからビジネスに重大な示唆が得られるということがわかると思います。
見せる化の罠
またデータだけをみることの弊害として、「見せる化の罠」にはまることもあります。とりわけ大企業では、経営層は中間管理者がいうことを鵜呑みにしてはいけません。データは本来的に解釈の幅を残すものですから、「自分の都合のよい解釈ができるような表現にする」こともできてしまいます。完全な嘘にならない範囲で、自身の立場や手柄を守るため、このようにデータを脚色することは珍しくありません。むしろ多くの人間が積極的に行っています。経営者として、たとえそのことを織り込み済みだと思っていても、無意識的にコントロールされてしまうことはよくあります。データとはその本来的に曖昧な存在であるにも関わらず、人間への影響力はそれほど強いのです。
データの向こうに現場がみえる
データから何かを考えるときには、必ずその先にある現場を見通さなければなりません。逆にいえば、報告者側の立場の人間は現場の姿がみえるような「論理的で示唆を導くようなデータ」を資料として作成しなければならないわけです。報告される側の立場の人間であれば、「見せる化の罠」にはまらないために、「そのデータの使い方は本当にロジカルか?論理として破綻しているところはないか?」と常に意識しなければなりません。報告者に論理性が求められることはもちろんですが、部下を持ち、彼らの報告を受ける側の立場に立ったときこそ、真の論理性が試されるともいえるでしょう。
論理的な資料を作るにはどうすればいいか、きちんとした裏づけのあるフレームに沿って説明資料を作りたいという方はAMCJのようなサービスも検討してみてもよいかと思います。
ぜひ一度、あなたのデータと論理について見直してみてください。
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