私は、神社に行くことがあっても、お参りすることには関心が無い。
鈴も鳴らさないし、お守りも買わない。御朱印には何の関心もない。
大事なものは、立派な社殿にはないと感じている。
神社や周囲の空間に雰囲気を感じると、心を鎮めて協調する。
祈ったり願ったりすることはない。
意識を調整して、奥行きを感じとり、その場の聖なる雰囲気のなかにたたずむ。
自分の無意識が何かを感知した場所にたたずみ、感じ取り、調和する。そのことによって意識が浄化され、あらたな知見を得る。
聖域とは本来、そういった場所ではなかっただろうか。
以前、山奥の有名な神社に行った際、並んだ人々が順番にお参りをしているのを見て違和感を覚えた。
誰も関心を示さない社殿脇の大きな岩こそが、かつて畏敬の念をもって人々が向き合っていた象徴だと感じた。
人々は、大いなる自然というか自然の不思議な奥深さ、生命を生み出す強さや人々を不安に陥れる怖さなどを岩や海山に感じ取っていたのではないだろうか。
縄文時代の出土品を見ても、神々や生死について考えをめぐらす精神的な営みが長く続いていたようだ。
だからこそ、仏教や儒教などが海外から入って来た時も、それらを丸飲みするのではなく、それまでの精神的営みによって解釈を行ったり、古来の信仰に変化を加えて調整したりしたと考えられる。
神道の立派な社殿は、仏教や儒教に対抗しようとして作られたのではないだろうか。
本来、日本の天皇は西欧の皇帝や王とは位置づけが異なるにも関わらず、奈良時代は中国、明治時代は西欧に対抗するために君主として扱われたことを思い出す。
かつては、聖域に大きな社殿はなく、入り口に鳥居が目印として置かれていた程度。
沖縄の多くの御嶽のように、鳥居さえない聖域も多かったようだ。
ちなみに、鳥居の起源はいろいろ推察されているようだが、私は、竪穴住居の入り口の柱が起源ではないかと感じている。
竪穴住居には入り口がある。そこに柱を立て、上に草木か土を敷いてひさしを作り、外から雨やゴミなどが吹き込んでくるのを避けていた。
家の出入り口の象徴として、ひさしを支える鳥居のような柱があった。
竪穴住居は胎内にも通じる存在で、住居の中には神様をまつる棚もあったのではないだろうか。
日本列島先住民(縄文人)の子孫であるアイヌの住居にも神様はまつられていた。
竪穴式住居という聖域の入り口として鳥居のような柱があり、そこは神をまつる場所の入り口でもあった。
その後、内と外、俗と聖などの境として、鳥居が認識されるようになったのではないだろうか。
誰もそのような説を唱えたりはしていないようだが、私はそのようなことを想像する。
可能性の一つとしては、寒い日や大雨の日に竪穴住居の入り口を閉じる必要がある際、柱を外してひさしを下げ、入り口のフタにする、ということが行われていたかもしれない。
「取り入れることができる柱」→→とりいれ→→とりいり→→とりいぃ→→とりい→→「鳥居」、というふうにはならないだろうか。鳥居の語源に関して、勝手な想像。
<参考>
https://gogen-yurai.jp/torii/#:~:text=%E9%B3%A5%E5%B1%85%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%83%BB%E7%94%B1%E6%9D%A5,%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E8%AA%AC%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
■鳥居の語源・由来(語源由来辞典)
鳥居は、古く神に供えた鶏の止まり木といわれ、鳥が居るところの意味が通説となっている。
その他、鳥居の語源には「通り入る(とおりいる)」の意味や、汚れたものをとどめる標であることから「トマリヰ(止処)」の意味とする説もある。
■駅徒歩8分で竪穴式住居に入り放題(Daily Portal)
https://dailyportalz.jp/kiji/170329199163
追記
そもそも、万葉仮名の時代の日本では「居」は「お」と読んでいた。現在の近畿圏でも、「居る」は「お↑る↓」と読む。
「鳥居」という漢字を見て「鳥がいる」と連想するのは近代の発想ではないだろうか。
近畿圏の人は、「鳥がおる」と表現する。トリイという音のイは、「居る」を意味しなかったのではないだろうか。