仁さん智子先生ん家の猫
しーにゃちゃんが亡くなった。。

めっちゃかわいかったなぁ
いつも、ほっこりさせてもらってました


同じ猫を飼ってることが
嬉しくて仕方なかったなぁ


しーにゃちゃん
お疲れ様でした。
またどこかでね~。



知ってる猫ちゃんが亡くなると
今までなら、
特に寂しさで心がものすごく揺さぶられることが多かったのですが
不思議と
いつもよりは落ち着いた感覚で
しーにゃちゃんの死を見つめていたような気がします

しーにゃちゃんとは会ったことがないし
いつもブログやFacebookで拝見していただけなのですが
もちろんとても驚いて、しばらく凍り付いたように動けなくなりましたが




愛猫のそらが2月に死んだ時
悲しくて悲しくて仕方なかった
25年の猫との生活の中で
なぜか一番悲しかった



なかなかサヨナラが言えなかった
そらが寂しがってるんじゃないか
私と離れて大丈夫かなとか
色んなこと思ってしまい悲しがってばかりいた

そらに対する思いを私が手放したくなかった


私はそらを幸せにしてやれてたかなって
もっとああしてやれば良かった
こうしてやれば良かった
って、そんな思っても仕方ないことも思わずにはいられなかった


存在が「ある」ということの大きさを
それがなくなったということを
全身で感じていた…


だけど
そんな色んな感情を味わい尽くし
そんな感情を出すうちに
気持ちに変化が起こっていました


亡くなった母も、そらも、
何て言うんだろう…やっぱり「ある」んだ
そう思えてきたのです



幼い頃から人が弱って死にゆく姿を目の前でよく見ていた
すごく元気だった人たちの死に近づいていく姿
もちろん、共に過ごした猫たち、人生で出会った猫たちの死にゆく姿も


いつも元気に働いてたおばあちゃん
いつも不機嫌で怒ってばかりいたおじさん
よく訳の分かんないこと言って怒鳴り込んできた親戚のおばさん
厳しかったけど、ご飯を作ってくれたおばあちゃん
テレビいっしょに観て笑ってたおばあちゃん
昔は元気に暴れてたお母さんも

みんな みんな
死んでいった

そんな姿を間近で見てた
高齢者が多かったせいか
周りの大人は人が死んでも取り乱さない
日常の出来事の1つ

母の死に向かう姿は
他では見たことのない言い表しようのないものでしたが
それすら淡々と…


それより
葬儀の準備
そんな中にいつもいて
死に面しても感情が揺さぶられることが、あまりなかったように思います


多分、もうその頃には
私は
感情にフタをしてしまっていて
喜怒哀楽にずいぶんと鈍感になっていたし



そんな死を見ていたせいもあるのかな…
私は
どんなにイヤなこと言われても
どんなにコワい思いをしても
どんなにツラいって思ってても
どんなに傷ついても
いつか、人間はあんな風になる
いつか、死んでゆく
本当はみんな優しくて弱い人間
だから、どんなこと言われてもまぁいいや
って、
もしかしたら、そんな風に思って自分の感情をごまかしていたところもあったのかもしれないなぁって
今になって思ったり…



母親が死んだ時でさえ
悲しいと思わなかった

ただ私の身体は正直で
葬儀の最後に頭を下げた瞬間に
目から生暖かいものが地面に向かってポタポタ落ちてたけど

自分でも驚いたことを今でもハッキリ覚えてて
「あれ、私、泣いてるんだ」
そんな感じでした


それ以来
ヨガのドゥルガープージャの時の訳の分からない大泣き以外
ほとんど泣くことなんてなかった
1人で泣くなんて全然なかった



いつの頃からか、
泣くことをしなくなった私に
涙を取り戻してくれたのは、
16年いっしょにいた猫のそらだった

記憶の限りでは
あんなにおおっぴらにオンオン泣いたのは
初めてかもしれないなぁ‥


その時と、それからしばらくは
泣くことを取り戻したばかりで
思い出しては泣き
突然涙があふれて泣き
泣いてばかりいた
そんな私を家族や友達がいつも受け入れてくれた
受け入れてもらえたことにも驚いたり…


そんな日々を過ごし
富田林の仁さんの講演会の歌の時
ふいに
「もう大丈夫だから、いくね」って
そらに言われたような気がした


一瞬、ものすごい寂しさにおそわれたけど
「うん、もう大丈夫。ありがとね」って思ってる自分がいた
それと同時に心がふわっと穏やかになったのを
はっきりと覚えている


それからは、、、
一緒にいた感覚は薄らいで寂しくなったりするけど
気持ちは穏やかなまま

そして、思い出す度に、
母もそらも、やわらかくあたたかい気持ちと共にそこにいてくれる
そんな風に感じるようになった

もちろん寂しくなるし
時に無性にそらに会いたくなるけど…
たまにペットフード売り場で足が止まって
思考が止まりボーッとしてる時あるけど…


猫を飼えて良かった
いつだって「そうなんだね」って言ってくれてたように思う
みんな私のこと大好きでいてくれた
そして、今、思えば
たとえ病気したり、イタズラされたりしても
いつだって「いてくれること」によって癒されてたんだ


猫には本当にたくさんのことを教えてもらえた
全然こびたりしない、気分屋で自由気まま
あの猫と言う生き物が私の人生にいてくれたことは
私の喜び
不思議な生き物だー、猫って


これからは
幸せな猫がいっぱい増えるように
ささやかでも何かできたらいいなぁって思っています


そして
いつか
タイミングが来たら
きっとまた私のところにやってきてくれるよね
楽しみに待っていよう
( ´ ▽ ` 貴)←名前入れてみた♪


今は、感情を大切に
目の前のことを1つずつこなしていこうと思います


驚いたことに
それから私は
今まで味わったことの無かった母に対する思いが出てきて
その中には、怒りや悔しさ悲しさも寂しさもあるけれど
結局はいつも感謝の気持ちに変わり泣いたりして

こんな自分になれるとは夢にも思ってなかったし
今はそれどころか
起こってくる感情を楽しんでいる自分がいます

だって、もうこの人生で母を思い感情がわくことなんて絶対にない!ってかたく信じていたから
悲しみや悔しさ寂しさを味わえることさえ
喜んでいる自分がいるのです


そんな感情を味わえるようになったのも
そらがいてくれたから
そらが私にキッカケをくれたから


ガッチガチだった私の心を
いつだってそばにいて
見守って、揺さぶって、開かざるを得ない状態にしてくれた小さな動物


そら、ありがとね
今まで出会った猫ちゃん
これから出会うだろう猫ちゃん
みんな、みんな、ありがとね♡




とも先生の言葉に
心がふんわり開かれたような気がしました
さすがヨギーニって思っちゃった
⬇⬇

『その現実に、そのまま触れてさえいれば

何も問題はなく

これほど気持ちが穏やかなことはないこと。


それを

改めて感じ入っています。


悲しさだけじゃなく

穏やかさが確実に、そこにあります。





ハートの奥の

一番柔らかい場所を

覆ったり

隠したり

しまいこんだりしないで

勇気を出して

その柔らかい部分に


いまのそのままの空気が

なでるように

あたっていくのを

そのままにするだけ。



何も脚色がない

そういうなかで

内側から

勝手に湧き上がってくる感覚が

どんなに

豊かであるか。



しーにゃのおかげで

湧き上がる

あたたかい気持ちと

感謝で

いっぱいです。』

とも先生のブログ ◆一夜明けました。


ともちゃん先生
やっぱり素晴らしい方だなぁと思いました

しーにゃちゃん
本当にお疲れ様でした
ありがとう<(_ _)>



写真、勝手にお借りしちゃいました<(_ _)>汗

しーにゃちゃんの旅立ちに際して
出てきた思い綴りました<(_ _)>




猫のそらが
私と私の心を繋ぐ橋を
最後に
見事に蘇らせてくれた
そう信じています黒猫Love you
そらは尻尾の切れたキレイな白猫ニャハー





勝手に友情出演して頂いちゃったニャハー⬇⬇

















皆さま、勝手に友情出演ありがとうきゃはっLove you


それから…
私はまるで子供のように
出てくる感情にどう対応したらいいのか
あたふたしてました
自分の感情に振り回され
相変わらずの自己肯定感の低さからフタしようと頑張ったり…
そしてここ最近は
ぐるぐるしてた上に
夏バテと夏風邪でヘロヘロ…ひよざえもん やったね汗


それでも
私ったらやっぱり愛されてたきゃはっ

なんか知らんけど愛されてんねん
って思ってたら
ちゃんと証拠がボンっと目の前にやってきた
想像もしなかった形できゃはっ
そして猫のようになりニャハー

そうなると
感謝は勝手にわいてくるのだニャーきゃはっwハート☆
皆さまどうもありがとう<(_ _)>



柔軟さと、あるがまま
猫のように
ヨギーニを生きる
そんな言葉がふと浮かんだ
(生きれたらいいニャーニャハー)


これも、そら(猫たち)からのプレゼント
いかりんが書いてくださったブログ
懐かしいニャーWハート嬉しかったニャーきゃはっ




花心屋塾認定心理カウンセラー
花インド政府公認・全米ヨガアライアンス認定 シバナンダヨガインストラクター 
貴美《たかみ》

今日もたくさんの幸せが見つかりますようにハート